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あざらしとペンギンの問題

主に漫画、数値計算、幾何計算、TCS、一鰭旅、水族館、鰭脚類のことを書きます。

本ブログの見直しと今後のこと

初めましての方もまた会ったなの方もこんにちは。本ブログ筆者の azapen6 です。

前々から考えていたことではありますが、この度、本ブログの全面的な見直しを行うことにしました。理由を次に列挙します。

  • 最近の投稿に関して、筆者の活動の告知や心境の暴露等、個鰭的なものが続いていて、今後もそちらをメインにしたいこと。すなわち、本ブログを典型的なブログとして使いたいこと
  • twitter に書けないような長さ、内容の記事を、住み分けとして本ブログに書きたいこと
  • 上記の理由とブログという形式上、かつてのような学術系記事の連載が困難であること
  • 過去の記事に関して、内容を大幅に修正したり記事そのものを削除したりしたために、一貫性が損なわれていること
  • 記事の修正に関して、自分のPC上のファイルとの同期を取ることを忘れる可能性があること、および、最終更新日時を読者が知ることができないこと
  • 他サービスで個鰭サイトを構築し、学術系記事を高い柔軟性をもって記述することが容易になっていること

まとめると、本ブログを典型的なブログにして、学術系記事を他に分離したいということです。つまり、かつて雑多な記事を削除してその代わりとして twitter アカウントを作ったこととほとんど真逆のことをやろうとしています。現在ではその twitter アカウントの方が実質的なメインになっていて、本ブログを滅多に更新していないことは、今回の見直しを決断したきっかけの一つです。

twitter の方では言いましたが、私は現在障害者認定を受けており、就職やその他のことに関して健常者とは異なる道を歩むことになります。正直を言えば、私には自分がこの先どうなっていくのか検討もつきません。そのお知らせも本ブログですることとなるでしょう。

今は正真正銘のニートということで、時間だけは豊富にあります。田舎なので外出して近場で何かできるということもありません。そもそもお金がありません。大学で研究に打ち込むには絶好の環境ですね。それはさておき、使える時間は有効に使いたいと思います。

現在の私の目標を次に列挙します。あるいは数日もあればできそうなことから、あるいは3年かかって無理なら仕方ないようなことまで、達成できる見込みはまちまちです。

  • まずは上に書いたことを実行する
  • プログラム言語を新しく身につけて実際に開発を行う。今までは C/C++ をメインに使ってきたが、例えば Rust, Groovy をメインの開発言語にすることを考えている。Scheme の復習もやるべし。LLVM を用いた開発にも興味あり
  • 絵や漫画などの創作物を積極的に描いて公開する。一応 3DCG エンジニアをやっていたので、モデリングやアニメーションもやる。理論を学びつつ枯れた技術から最近の論文まで勉強と実践あるのみ
  • 通訳案内士の資格を取る。その前に英検1級を取る。これまで様々な土地を巡ってきた以上もっと深く知りたいし、それを外国人にもちゃんと説明できるようになりたい
  • 数学の深いところをちゃんと勉強する。具体的には Weil 予想の問題提起から解決に至るまで、および、計算機科学における応用などを体系的な知識として得て、アウトプットとして解説記事を書きたい
  • 同様に、日本ではあまり触れられない Kadison-Singer 問題についても書きたい
  • あんハピ♪布教部(不幸部)No.49 としてオンライン、オフラインでの地道な活動を行っていく。布教なのだから当然世界に向けて発信すべき
  • 帰宅部活動記録は永遠

同人誌の作成、頒布は『よんこま小町』にて一度は復活(結局頒布に間に合わず、打ち上げで名詞代わりに全部配った)しましたが、金銭的な問題や自分の障害を考えて、今年は多分、一般を含めても参加は難しいでしょう。その代わりとしてインターネット上で公開するのは上に書いた通りやっていく所存です。

今しかできないことがしたい。そのためには暇なんてない。睡眠はちゃんと取ろう。

こんな感じで今年はやっていくつもりです。

愚者のシンフォニエッタ

萩生響さん、お誕生日おめでとうございます!以下の写真は私が山形県飯豊町にある萩生駅に行って撮ったものです。私ははなこ推しなのですが、その名前の駅はないので、18きっぷで鰭を伸ばして行ってきました。

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さて、新年度といえばいろいろなことが終わる時期です。日本では4月1日から新年度ですが、他国では9月1日からが多いです。ちょうどその日は私の誕生日です。ちなみに、ARIAアリス・キャロルの誕生日でもあります。そういうこともあって、私は彼女に特別の親近感を覚えています。さて、余計な話はこの辺にして、本題に入ります。

私は会社を辞めました。今後、法廷で争う可能性があるので、詳しいことは言えないことをお察しください。

第一楽章 大義なき試練

私の経歴については、私の twitter を見ている人は知っているかもしれませんが、かなりの紆余曲折を経てここまで来ました。世間的に見れば私は俗に言うところの高学歴に当てはまると思います。一応それなりの高校を出てそれなりの大学に入って、最終的には大学院博士課程に進みました。ここだけ見れば順調にエリートコースを歩んできたように思われるかもしれませんが、その過程は単純ではありませんでした。

私の最終学歴は大学院博士課程自主理由中退です。つまりは博士号を持っていないわけです。私は正直に言えば学歴コンプレックスを持っています。博士、Dr.、Ph.D. はもとより D という文字にさえ反応するほどです。そもそも大学では博士のことを当たり前のように D と呼んでいた(博士課程に進むことを D 進、博士論文のことを D 論など、むしろ博士という言葉を使うことの方が少なかったです。)ので、D に反応してしまうのも仕方のないことかもしれません。

化学を諦めて

私の味わった挫折というのは、博士課程を中退しただけではありませんでした。以下、特定を避けるため幾分ぼかして書くことをお許しください。

私が遠い昔に入学した大学は、入学の時点では専攻する分野が決まっておらず、進級の際に希望を出して分野別のカリキュラムに移行するというシステムでした。入学当初、私は化学あるいは物理学を専攻し、大学院も物質系に進むことを疑いもしませんでした。というのも、私は子供の頃から(似非)化学実験が好きで、周期表は小学校の時点ですべて記憶していました。神経ガスの分子構造はもとより合成方法なども知っていたと思われます。中学校に入ってからは理科室での実験が多くなり、ドブのような日常の中で最も楽しい時間でした。その頃には知識も増え、高校で扱われる範囲、さらにはネルンストの式など大学レベルの化学まで知っていました。私は授業を真面目に聴くような優等生ではありませんでしたが、理科、特に化学分野の成績はとても良かったです。それゆえ高校では化学で勉強することがすぐに無くなってしまい、自宅で夜な夜な怪しい実験をしたり、教科と関係のない数学にのめりこんだり、プログラミングをしたり、深夜アニメを観たりして過ごしました。「帰宅演習」に入れた次のコマは実話です。普通の模試程度では偏差値 80 以上は当たり前という感じでした。

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ここでひとつ自慢しますが、次の周期表 T シャツは私がカリフォルニア大学バークレー校を訪れた際に買ったものです。大学公式グッズです。この大学といえば数多くの元素を作り出したことで知られ、_{97}\mathrm{Bk}, _{98}\mathrm{Cf} の名前の由来にもなっています。化学好きとしてはこれ以上ないグッズと言えるでしょう。ちなみに、放射能のマークには蓄光材が入っていて、暗闇で光ります。芸が細かい!

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閑話休題。そんなことから、私が特に何も言わなくとも、家族や学校の先生も私が化学の路に進んで研究者を目指すことについて誰も疑っていなかったと思います。しかし、現実は私に厳しい試練を与えました。

私は高校を卒業するあたりから「パニック障害」なるものを発症しました。敢えて「なるもの」と言っているのは、当時の私には思いもよらないことだったからです。具体的にどういうことが起こるかというと、毎日数回、突然の激しい苦しみに襲われます。まるで自分の周りから酸素がなくなったかのような、あるいはいきなり暴漢に襲われ首を締められたような、とにかく日常的にあり得ない苦しみに襲われ続けました。私は当初一時的なもので大学に慣れれば収まるものだと楽観していましたが、むしろ酷くなるばかりでした。特に、朝の通勤電車などはあまりの苦しさに死んだ方がマシと考えるほどでした。結局、5月には大学に出なくなりました。その後は家に引きこもる生活が続きました。家でも発作は繰り返し起こり、飯も喉を通らず、発作の恐怖ために寝付くこともできず、また夢の中でさえ苦しめらました。私は実家暮らしだったので家ではなんとか生きていました。もし一鰭暮らしだったとしたら今は生きていないと思います。心の中では「私が一体何の悪事を働いたというのか?なぜ私が苦しめられなければならないのか?」というのを繰り返していましたが、地獄のような苦しみとそれに対する恐怖に苛まれ、急速にうつ状態が進行して、もはや神に反逆する意思などもない、ただの生きる屍のような状態にまで崩れました。

惜しむべきは、当時私自身を含めた誰も私の病気に対する対処法を知らなかったことです。これは日本人の価値観の問題なのかもしれませんが、私は自分が精神を病んでいることを認めたくありませんでした。それ認めてしまうことは私の弱さを認めることに等しく、それを公言することで弱者と見なされることを恐れていました。そして、周りの人は当然ながら私を健常者として扱うために、様々な場面で私は不自然な行動を取らざることがありました。私には少なくとも私の症状が理解され得ないものだという認識がありました。実際、パニック障害の苦しみをそれを味わったことのない人に理解してもらうことは不可能でしょう。先に書いたように、いきなり暴漢に首をつかまれる体験をしてもらうことくらいしか思いつきません。

結局私は1年以上大学にはほとんど行かず、家に引きこもっていました。あるいは、家族がいる日は外に出て図書館や公園などで時間を潰したりしていました。一度発作が起これば嘔吐したり失神したりすることも十分あり得たので、閉鎖空間を非常に嫌いました。今も当時の癖で初めて入った建物ではトイレの場所と避難経路を確かめ、最も避難しやすい位置(新幹線のトイレ寄り通路側など)に陣取るということをします。当然のことながら、当時は通勤電車、自動車といった避難場所もトイレもない乗り物に乗るのは命がけの気分でした。

化学を専攻した経験のある人には分かってもらえると思いますが、化学は必修科目ばかりで特に実験は休むことも許されませんでした。化学に限らずとも大学の実験は色んな意味で重い科目です。まず実験計画を書くところから始まり、実験室で実験を行った後は用具の洗浄、片付けをして、そのときの実験の進め方や結果について担当の TA*1 とのディスカッションを行い、最後に掃除をして実験室を出ます。終わる頃には 21 時なんてこともありました。そして実験の後にはレポートが待っています。それで×を食らえば書き直しなんてこともあります。

当時の私がそれに耐えられるはずもありませんでした。パニック症状のために危険な薬品を扱うことがそもそも危険ということもありました。結局私は必修の実験を完遂できず、化学を諦めざるを得ませんでした。

これが最初の挫折です。当時、化学を諦めるということは、鰭生を諦めるも同じでした。

計算の世界へ

化学を諦めた私が次に目指したのは、実験ではなく計算によって物質の性質を明らかにする研究でした。基礎数学についてはほとんど独学で線型代数微積から位相空間多様体群論などをやりました。物理、化学の基礎理論も一通りは勉強しました。そして地面に落ちていた単位を回収し、次に進むべきところはといったところで、意外にも先のようなことをやれるところが自然科学系にはあまりないことが分かりました。そしてもちろん大学の数学専攻は純粋数学をやるのでなおさらです。一応この頃にはパニック発作の頻度はかなり少なくなっていました。とはいえ全く出なかったわけではなかったのですが、私はなんとか回避する方法を考え出して乗り切りました。

そのときに講義に出て知ったのが計算科学、いわゆるコンピュータ・サイエンスでした。そして、計算で微分方程式を解いたりそのためのアルゴリズムを作ったりすることをメインでやっているのは、むしろ情報系の専攻であることを知りました。

そして私は情報系の専攻に進路を変えました。この辺の事情は面倒くさいのですが、結果としては一年遅れで情報系に移りました。ゆえに、同級生はおらず、ほとんどゼロからのスタートでした。正直なところ、私は情報系について何をやっているのか分からない怪しい世界だという印象を持っていました。実際に入ってみると、かなりがっつり数学をやるところだとわかりました。それこそ純粋数学と変わらないことをやっている研究室もありました。ただ、組合せ数学というのは数学系ではあまりやらない数学でした。私は次の Polya & Tarjan の「組合せ論入門」という本を読んで、こういう数学もあるのかと知ることができました。この本は大学の知識が特に必要ではないので、高校生でも十分読めると思います。

組合せ論入門

そして私が選んだのが「計算複雑性理論」、英語では Computational Complexity Theory という分野でした。このブログの最初の記事にある「通信複雑性 (Communication Complexity)」は私が学部の卒業研究でやったことの触りの部分です。私が研究していたところは、量子通信複雑性に及ぶため、下界を示すにはもっと進んだテクニックが必要になりますが、理論的にはかなり奇麗になっています。

大学院に進んでから、さすがに私もこのまま 12 時間も飛行機に乗ったりしたら死ぬと思い、大学の保健室的なところに診察を受け、薬を貰っていました。そのおかげでパニック発作はほとんど抑えられました。

とまぁ、そんなこんなで、私は大学院博士課程まで進み、研究の方向性の違いを理由にして辞めました。どこのバンドだよ。このあたりの事情は相当こじらせているので口を慎むことにします。

第二楽章 泥舟の進水式

就職、そして

大学を自分勝手に飛び出していった私に行き場などありませんでした。この辺も闇が深いので割愛します。そして、就職しました。そのことは前の記事にあるのでここも割愛します。

この頃に私は診療内科にかかり、双極性障害(いわゆる躁鬱病)と診断されました。

就職に関して問題があったのは、当時の勤務先ではなくて、私が実際に雇用されていた会社と、なんかよくわからない仲介業者です。その会社というのは、一言で言えばブラック企業、それも法的にブラックな企業でした。この辺りの事情は訴訟案件になる可能性があるのでまたしても割愛します。

ともかく、私は三次元幾何計算のプログラマとして勤務していましたが、昨年9月頃から体調を崩すことが多くなり、欠勤も増え、遂に 11 月には全く動けなくなるほど酷くなっていました。サンクリの原稿を落としたのはまさにこの辺りですね。正直を言えば C91 の「NEW GAME!」合同誌の原稿も落とすところでした。

出勤していた会社の方はこれは危ないと思い始めたのか、私に休養を取ることを勧めるなどいろいろ考えてくれました。しかし、私の担当した部分はもはや私以外誰も扱えない代物になってしまっていたので、なんとか完成を目指して頑張りました。しかし、体調の不安定はその後も続き、これはまずいということで、本格的に病院で診察を受けることになりました。

発達障害

数度にわたる鑑定の結果、私は発達障害のうちの自閉スペクトラム障害 (ASD) 、いわゆるアスペルガー症候群の可能性が高いことが判明しました。自分が昔から変わった子供だったということは親や周りの人から聞かされていて、自閉症の兄弟がいることから、随分と前から疑いを持たれていたようです。

先程の双極性障害もそうですが、検査を受けるときは家族および近い親族に同様の障害を持つ人がいるかどうかを訊かれます。これはがんの診察を受けるときと同じです。精神障害などというと環境にのみに原因があると思っている人は少なくないと思われます。しかし、これらの障害には遺伝子が深く関わっていることが知られているのです。つまり、私は生まれた段階でその因子を持っていたのであり、たまたまこの時期に明らかになったということです。

実際に見ていただくために、そのときに受けた WAIS-Ⅲ という IQ テストの結果を次に示します。

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テストの詳細は伏せますが、構えないでやっていいと言われたので、かなりマイペースでやったところ、大幅に時間オーバーしてしまいました。これも診断には考慮されているようです。

ここで、VIQ とは言語性 IQ、PIQ とは動作性 IQ、FIQ とは検査全体の IQ ということです。大雑把に言えば VIQ が高い人は勉強や話術が得意、PIQ が高い人はパズルやスポーツが得意といったところでしょうか。しかし、普通の人であれば、両者の差はほとんどなく、FIQ も大体近い値になります。

ところが、上のグラフを見ると、明らかにガタガタです。VIQ と PIQ の差が 50 近くもあります。下位項目についても同様にガタガタです。この段階で発達障害の疑いが極めて強いことが分かります。

しかしこれはまだ序の口で、私の障害はもっと複雑だったのです。上の図から FIQ が高いことが分かりましたが、私の言語運用力というと、お察しの通り極めて稚拙で表現力に乏しいと言わざるを得ません。私が受けた検査は何も WAIS-Ⅲ だけではありません。他の検査項目を総合すると、どうにも私は IQ の示す性質と真逆の性質を併せ持っているらしいのです。そのため、IQ の解釈は慎重を要するとのことでした。要するに上の数字はあまり当てにできず、一般的な検査では私の障害を捉えきれないということです。

この結果には医者や臨床心理士にも困惑が見受けられるほどで、なんだかわからないが普通とはかけ離れているということだけが判ったのです。えーーーーーーーーー(日常)

第三楽章 厳冬

仕事の話に戻りますが、私はとにかく 11 月以降絶不調でした。一日中天井を見ているだけで、勤務先に連絡することさえできないほどでした。そのため、私を実際に雇用している会社の社員となんかよくわからない人を交えて面談が行われました。その結果として、社員からモーニングコールというには激しすぎる電話攻撃を受け、ついには家に押しかけて来る始末となりました。この頃から私はストレスのため毎日のように嘔吐するようになり、押しかけて来た社員の顔を見た瞬間吐き気を催すほどでした。日常はあっという間に恐怖の渦となりました。

私はなんとか年内にモノを仕上げて多少の修正すべき点を残すのみとなりました。しかし、本当の地獄はここからでした。言ってしまえばチームの誰も私の作ったもの、およびそれ以上に重要な解析技術が理解できなかったのです。それもそのはずで、私の作ったものは業界に存在し得なかったものだったからです。そのため引き継ぎは困難となり、結局私が参ってしまいました。その後はやはり社員からの厳しい圧力に苛まれ、日に日に無残な状態になっていきました。この頃には出される薬に三環系抗鬱剤が加わり、いよいよ極まってきたという感じでした。

そして、私は追求から逃れるように旅に出ました。私は当然電話など無視していました。その間に実家にまで連絡が行き、親が会社のやり方の不当性に激怒して、私は退社を決意するに至りました。労働基準監督署に相談を行った結果、ほとんど全部黒だと判りました。

私は私を追い詰めた彼らと二度と会わないと誓いました。実際それはとても危険なことでした。なぜなら、私は彼らを殺してしまいかねなかったからです。

Postlude 春へ

その後は適当に引き伸ばしたりしながらタイミングを見計らって、会社に No を突きつけました。もちろん、法的措置を取ることをほのめかして。それ以降彼らと会ったことはありません。

終わりはあっけなく、それ以降私は吐き気に悩まされることもなくなりました。

4月、私は私が生まれてからしばらくいた田舎へと帰ります。

では。

*1:ティーチングアシスタント

Perish or Perish

私のtwitterアカウントを見ていた方はご存知かと思いますが、SC2016秋の新刊を落としました。

まず、「帰宅演習・補遺」に関しては、事前に計画上の無理が生じていたのが分かっていたので、そもそも出さないという結論になりました。これは今回は出さなかったという意味でなく、将来的にも本という形で出す予定がなくなったという意味です。補遺はその名の通り「帰宅演習」の後日談として同じ本で出すことを考えていたもので、12pという分量と当時の進捗から言って絶対に無理と判断したために外したものでした。しかし、自分としては好きなキャラクターの日常エピソードで是非描きたいと思っていたので、次のイベントで出そうと考えていました。内容的に漫画と小説の中間のような形式がふさわしいと考え、外装は同人小説のようにすることを予定していました。しかし、結局本は出ませんでした。

そして、あんハピ♪本「Partageons l'Oiseau Bleu」ですが、これだけは死んでも出すと意気込んでいたにも拘わらず、諸事情で当日まで作画が終わらないという状況でした。最終的には池袋のダイスで作業をすることになりました。そして、やっとできたと思って印刷・製本のために会場近くのキンコーズでスキャナにかけたところ、望みの出力が全くといっていいほど出ないということがわかりました。実はそれは家のスキャナでも過去にやって上手く行かなかったところであり、業務用の機械だからといって上手くいくわけではないということを思い知ることとなりました。そもそも原稿が水彩紙という特殊なサイズであったため原寸印刷ができず、仮にスキャンできたとしても自分では上手く印刷ができなかったでしょう。極端なことを言えば携帯カメラで撮影して適当にいじった方がちゃんとした出力が得られたと思います。これは私が印刷を理解していなかったという以前に、スケジュールに無理があって別の方法が取れなかったことがそもそもの問題でした。

共通して言えることは、私にスケジュールを管理する能力が全くと言っていいほどないということでした。

もう一つの事情としては、9月以降私の体調、精神状態が思わしくない方向に進んできているということがあります。先日医者に言って状況を伝えたところ、薬が1日10錠に増えました。診察費と薬代を合わせるとBDが1つ買える値段です。また、遅刻や欠勤が増えたことから給料が減らされているので、ダブルパンチといったところです。前からあった体の脱力も増えて、朝動けないために遅刻するばかりでなく、注意していないと些細なことでバランスを崩して転倒することが多くなり、日中の路上で天を仰いだとき、もうすべてがどうでもいいという鰭分になりました。立ち上がろうにも捕まるところがないとどうしようもなかったので、路上を匍匐前進してなんとか立ち上がりました。あざらしが匍匐前進をするのは当然です。ともかくこれが薬の副作用かあるいは離脱症状に関係していることはほぼ間違いなく、大きい病院で改めて診察を受けることになりました。MRIは核磁気共鳴を利用するある意味で馴染み深い機器ですが、もし受けるとなった場合どれくらいのお金がかかるのだろう?というのも悩みの種ではあります。もっとも、あざらしのMRI画像というのはそれは貴重なデータになるでしょう。MRIからの立体復元は私の専門分野の一つですので、もしデータが手に入ったら調べてみたいと思います。

私はもうスリーアウトに達してしまいました。同人活動を続ける資格が失われたと言って差し支えないでしょう。仕事と体調のことも原因の一つではあります。また、私はプログラマとしてもっと高みを目指さなければなりません。

以上の理由で、私は同人活動を当面の間休業します。

私の最後の作品は、C91で頒布される『NEW GAME!』 FAN BOOK 「ひとつ夢がかないました!」に寄稿する「はじめてのOpenGL」という4コマ漫画となります。それすらも落としそうなのですが。

もし復帰するとしたら、早くとも来年のよんこま小町になるでしょうか。前に言ったよんこま文化祭のように狭い範囲で好き者が集まってやるイベントがなかなか楽しかったので、私も4コマ漫画が好きなので出してみたいと思ったというのがあります。もちろん現時点では未定なので、来年の初めには今後の鰭生も含めて決めるつもりです。その頃私は宮崎あたりにいることでしょう。

帰宅演習について

帰宅演習は元々テレビ神奈川で放送されている「キンシオ」という番組をヒントにして生まれました。最近はアニメはインターネット配信で観ることができるため、HDDの残りがなくなったこともあり、録画することは少なくなっていました。私がアニメをあまり観なくなり、あんハピ♪を繰り返し観ているという事情もありますが。その中でずっと録画している番組が「キンシオ」と「水曜どうでしょう」です。特にキンシオは音楽の問題もあってソフト化が難しいことから、テレビ放送が事実上唯一の視聴方法です。

キンシオという番組がどういうものかというと、特定のテーマに沿って吉祥寺在住のイラストレーターであるキン・シオタニが散歩をする番組です。行く場所は多くがなんでもない街で、時にはただの住宅地ということさえあります。大雑把に言えば「モヤモヤさまぁ〜ず2」と「ブラタモリ」の中間のような番組です。私はキン・シオタニの旅人としてのスタンスに共感し、何度かイベントに行って生の話を聞いたりしただけでなく、様々な場所を旅したりもしました。日本で行っていない都道府県は宮崎県と鹿児島県の2つであり、それも正月あたりに行こうと考えています。また、私は「駅メモ」をやっているため、路線を取りに行くという目的も兼ねて、また利用したことがないソラシドエアや「さんふらわあ号」に乗りたいということもあります。実際に乗れるかは日程と予算と空席との相談になりますが。

しかし、近場を散歩するというのもまた一つの旅だと私は思います。近場だからこそ知らなかった物や景色を見たとき、そこには遠くに旅に行って見るのとは違った「発見」があります。新興住宅地とはいえ元は丘陵地や原っぱだったり、江戸時代などに開梱された農地だったりするわけで、ふとしたところにそれらの名残があったりするものです。また、そのような地域にもちゃんと歴史があり、保存されている箇所も少なくありません。普段は見落としがちなところですが、よく見ればいろんなものがそこらにあるというのが、近場を旅することの楽しみと言えましょう。

もう1年前になりますが、C89で頒布された帰宅部活動記録合同誌「帰宅第一」にて、私は「OTCの謎」という漫画を寄稿させていただきました。本に入るという形では私にとって初めての漫画でした。そこで描いたエピソードは、私が同じ2015年に北海道紋別市のオホーツクとっかりセンター(以下、OTC)に行った経験が元になっています。紋別は北の方角では家から最も交通事情的に遠い市であり、あざらしを見るという目的でそこまで行ったことは私にとって大きなことでした。元々考えていたプロットを蹴ってまでOTCの謎を描いたのは実際に経験したことを描きたいと思ったからでした。私にギャグセンスがなかったからというのもありましたが。

その当時、私はいろいろあって大変な状況でしたが、ふと舞い込んできたのがC90の申し込み締め切り迫るという情報でした。OTCの謎は奇を衒い過ぎた部分もあったと思っていたので、今度は真剣勝負で自分の帰宅部を書こうと思いました。そこに近場の日帰りできる場所からの帰宅という考えが重なり、「帰宅演習」という構想が生まれました。タイトルは「帰宅第一」が大学の講義名に似ていたことからの類推と書こうとしていた内容とを合わせて決めました。

最初に考えていたスタート地点は、川崎市高津区の久地円筒分水でした。そこから等々力渓谷を通り、多摩川台古墳群を経て田園調布に至るルートを考えていました。しかし、ただルートを巡るだけでは演習として成立しないので、もう少し何かが欲しいということで、水曜どうでしょうのサイコロの旅が頭に上りました。そのスタート地点を考えたとき、私が思い出したのが横浜市瀬谷区にある「宮沢六道の辻」で、これはキンシオで知ったものでした。帰宅演習を描くにあたっては、もちろん現地調査を行いました。その中で発見したものもいくつかあり、いい散歩になりました。

話を作るに当たってキャラ付けは次のように決めました。原作のキャラと比べて違和感があったらごめんなさい。

  • 桜:変な計画を思いついては皆を振り回す。彼女の台詞から話が始まる。
  • 夏希:ツッコミ役。桜の思いつきには乗り気でないので、違う方向を向いていることが多い。
  • 花梨:【可愛い】
  • 牡丹:強い。ジャ○プ脳。
  • クレア:何でも金で解決。花梨への愛がヤバい。基本はボケだが手厳しいツッコミもする。

本編のネタについて少し説明しますと、最初に出た目で行った「二ツ橋」は、徳川家康が実際に和歌に詠んだ橋であり、帰宅部本編のネタに絡めたところもあります。そもそもすごろく自体本編の扉絵にあったものです。ソボレフ埋蔵定理はクロム酸ナトリウムを意識しています。と作者があまり説明するのは野暮なので、帰宅演習を購入された方は燃やしてなければ読み返してみると何か発見があるかもしれません。なお、本編は12月を目処に未完成版、完成版ともに公開予定なので、未購入ならば少しお待ちください。

このようにかなり思い入れのある帰宅演習ですが、結局C90の段階で未完成のまま頒布したのは以前に書いた通りです。完成版(と言いつつ重大なミスが発覚した)は未完成版購入者のうち半分にはお渡ししました。あと1人は直接お渡しに行く予定です。とりあえず半数に行き渡ったなら上々と言ったところでしょう。値段については、未完成版が印刷費200円のものを200円で売ったので損益はほぼゼロですが、完成版は1冊900円ほどかかっているのでどうしたところで大赤字です。完成版の本はあくまで未完成版購入者様に配るために剃ったので、最初から利益を見込んでいなかったのが実際です。SC2016秋では新刊を落としたので唯一の頒布物となりましたが、手に取ったのが1人でもちろん1冊も売れませんでした。この辺の事情は同人活動について思うところがあるので後で書くことにします。

帰宅演習は元々本とは別に私が勝手にやっていたことが元になっているので、実は描けるネタはいくらでも生み出すことができます。なので、今後はウェブで不定期にやっていきたいと思います。帰宅演習・補遺についても自分ではちゃんと話が書けたと思っているので、同じように公開したいと思います。順番的にはこちらが先になるでしょうか。

あんハピ♪本について

あんハピ♪」という作品は今や私にとっては空気と同じようなものです。当たり前にあって、なければ生きられない、それが私にとってのあんハピ♪です。最近でいうと映画が公開された「きんいろモザイク」は大好きな作品で、これを書いている時点では2回劇場に行っています。しかし、あんハピ♪はもはや好きという次元を超えた存在です。はなこが喋った瞬間脳が溶け、映像だけ観ても音声だけ聴いても優しさに満たされます。原作とアニメでは目指しているところが違うと感じますが、両方ともに良さがあります。正直を言えば、原作は1巻を買ったきりですごろくまでは知っている程度だったのですが、フォワードでは珍しく知っている漫画のアニメ化ということでそれなりに期待はしていました。そして、完全に沼に落ちました。原作はアニメに合わせて集めましたが、アニメでは随分とマイルドに描かれていると感じました。しかし、原作からも漏れ出る優しさはあんハピ♪そのものでした。

あんハピ♪がいわゆる日常系と一線を画すのは、台詞やアニメの歌詞にもある通り、行動することで道を開くというテーマがあることです。勘違いすべきでないのは、あんハピ♪はいわゆる優しい世界ではないということです。むしろ世界は彼女たちにとって厳しいと言っていいでしょう。優しいのは彼女たち自身です。彼女たちは皆周りのことをよく見ていて、誰かが落ち込んでいたら単純に手を差し伸べるというより、時にはそっと、時には大胆に行動して相手を支えようとします。例えば、9話でヒバリが帰り道で落ち込んでいたとき、それまで何の素振りも見せなかったはなこが突然ヒバリの前に走り込んで、お泊りを提案するというシーンがあります。はなこもぼたんも異変にちゃんと気づいていたのです。そこでもし「悩みがあったら話して」と言ったら、ヒバリなら悩みなんてないとでも言ったところでしょう。そこを有無を言わせずお泊りに持ち込んだのははなこの作戦だったのかもしれません。このシーンに関してシルバーリンク展で絵コンテを見ましたが、意図的に変えられいたようです。絵コンテでははなこはヒバリの前に飛び出した後に少し考えてから台詞を言うことになっていたのですが、アニメでは時間を置かずに言っています。もし前者だったとしたら、はなこはヒバリに何とかしたくて考えなしに飛び出した、ということになるでしょう。確かにこちらもはなこの性格的に考えうる行動です。しかし、アニメの方では思いついた時点で飛び出したか、それ以前から言うつもりでいたかということになります。おそらくずっとヒバリのことを考えて出した彼女なりの答えだったのでしょう。このように、あんハピ♪のキャラクターは相手のことを思いやって行動を決められる子たちなのです。

ちょっと語りすぎましたが、私があんハピ♪本「Partageons l'Oiseau Bleu」(自分でもよく名前を忘れる)で描きたかったのは、はなこはちゃんと相手のことを見て、相手の心を思いやって行動できる子であること、友達をしっかり支えているということでした。上に随分と書きましたが、この話は私ととしてそれだけの思い入れを持って作りました。特に、はなこの「迷惑かけていいんだよ」は作品を象徴とする台詞としてそれありきで話を考えました。

形式については、当初は普通に漫画を考えていましたが、帰宅演習で散々苦労したことを鑑みて、絵はアナログで描くことにしました。そのために選んだのが水彩色鉛筆という道具です。選んだ理由としては私が画材をあまり持っていないこともありますが、あんハピ♪の優しい空気感を出すには水彩で描くのが適当であると考えたからです。アニメでも背景は水彩調でしたね。そして、水彩用の画材として私が唯一持っていたのが水彩色鉛筆でした。水彩色鉛筆は色鉛筆と同じように描いた後、水で塗ると水彩になるというスグレモノです。単に水彩絵の具の代用品というのではなく、色鉛筆のタッチを生かしたり、先を水につけて描くとクレヨンのような質感になったりと、使い方次第で様々な表現を可能にする面白い画材です。ともかく、私は鉛筆と水彩色鉛筆を使って描くことを決めました。

その結果、失敗に終わりました。スキャナでデータを取ろうとしたところ、鉛筆の薄い線も水彩の淡い色調も全部飛んでしまったのです。うそだろおい!とスキャナの設定を調整したりパソコン上で色を調整したりしましたが、全く上手くいきませんでした。最終的にはiPadのカメラで撮影してデータとして取り込むことまで考えたところで、私は諦めました。もうサークル入場時間はとっくに過ぎていました。このような事態は家のスキャナで経験がある私にとっては予測できたことです。しかし、間に合わせられるかどうかの崖っぷちで作業していた私はそれを完全に見落としていました。本当のところは前日の時点でもう間に合っていなかったのです。それにも拘わらず本を出すとtwitterで告知したことについては、お詫びするしかありません。

前にも書きましたが、あんハピ♪の二次創作を見かけることは現在の日本において極めて稀であると言えます。だからこそ私が描くしかないと思いました。別に私の作品を見てほしいという気持ちはありませんでした。ただ、あんハピ♪が好きな人がもし来てくれたら、あるいは少しでも知ってもらえたらというつもりで、私はあんハピ♪本を作ることを決めました。とはいえ日常系の空気感を出すためにキャラの表情や背景の表現にはこだわるつもりではいました。しかし、時間が限られた中で描いたそれは、私の未熟さを見せつけるものでした。私が入れ込んだ作品について思い入れを詰め込んだ結果、私にとって納得しがたいものができてしまったのです。それは私の目的に沿うものであったか、今となってはもう言うべきこともありません。しかし、描いた以上は印刷をして本に仕上げなければ、自分で出すと言ったことに反すると思い、印刷所へ向かい、そして撃沈しました。

もっとも、中途半端なものが出なかったことに対する安堵があるのも実際です。帰宅演習は未完成版でも出しましたが、今回は状況が違っていたことを考慮する必要があります。帰宅部本についてはそれを求めている人々がある程度想定でき、かつ一部は私にとって縁のある人たちでした。しかし、あんハピ♪本を求めている人について、私は全く想像がつかず、サンクリのような中規模の即売会に来るのかどうかも見込めませんでした。実際のところは表紙のペーパー(+落書き)を受け取ったのが3人という具合で、仮に本を出したとしても1冊も売なかったことは容易に推測できます。だからこそ形にならなかったことは必ずしもマイナスではなかったとも思います。

サークルスペースに座っていて、目の前をただ通り過ぎる人々や、売れ行き好調な隣のスペースを見て思ったことは、帰宅部およびあんハピ♪という作品が興味を持たれていないという現実でした。私にもっと余裕があれば、人の目を引くために目立つ看板(あの人)を設置すべきだったかもしれません。どんなに興味がなくとも目立つものがあれば人を寄せ付けられる可能性はあります。しかし私が持っていったのはC90のときと違う種類のあざらしでした。仕方ないのでその場で適当な文句や絵を描いた紙を置きましたが、特に効果を上げることはなく、人はこちらを一瞥することさえなく通り過ぎていきました。一方で隣のスペースには多く人が集まって何やら話したりしていましたが、それについては私として思うことがあったので後述します。

あんハピ♪本に関して私は痛い思いをして終わりました。これもまた今後本として出す予定はありません。しかし、私が描いた帰宅部以外で思い入れのある作品には違いないので、描き直すでも何でもしてウェブに上げることを考えています。

同人誌の価値

当分の間、創作活動をインターネット上のみで行うことを決めたとして、同人誌の価値とは何かという疑問が残りました。私にとって同人活動は一種の社会実験でした。しかし、本に値段をつけて売る以上、買う人が一体何にそれだけの対価を払っているのか、適切な値段設定とは何かというのは常に悩むところでした。

例えば、帰宅演習の当初想定していた売値は300円でした。これは、過去の即売会で見た最低レベルの値段に合わせたものですが、20ページに3話ということでまぁ300円くらいがちょうどいいだろうと思ってつけた値段です。元より利益は考えていなかったのでコピー本としては200円(印刷費と同程度)でも良かったと思います。結局未完成版を出すことになり、200円に下げましたが、本当ならタダで配ってもよかった、あるいは未完成なら出すべきですらなかったと思います。しかし、それでは帰宅部活動記録の価値を下げる格好となって申し訳が立たないので、敢えて200円を取らせていただきました。

そもそも何百部何千部売るのでなければ利益など出るわけないので、値段は好きにつければいいのです。実質0円のものを作品に対するリスペクトから200円にしても構わないはずです。とはいえ、未完成版を買っていただいた方々は帰宅第一から縁がある人と、帰宅部本を集めている人でおそらく全員だったと思います。なので、完成版は全員に受け取っていただきたかったのですが、まぁそれは仕方ないでしょう。

同人誌を値段を見て買うのは少なくとも500円を超えるところからでしょうから、同人誌に払う対価というのは、それを所有することに対するもの、あるいは作者にビールをおごるようなものだと思います。同人誌は明らかに本としては割高であり、中身はそれこそ即売会なら全部見ることも可能です。それにお金を払うということは、所有することに価値を見出しているか、あるいは作者に対する敬意や応援か、そのいずれかなのだと私は思います。

同人とは

大きな標題を掲げましたが、別に同人の定義などをとやかく言うつもりはありません。しかし、同人誌を頒布するという活動について、自分がその立場になっていろいろ思ったことがあるので、ここに書かせていただきます。

同人、それは同じ人と書きます。志を同じくする人が互いに考えを交換する、いわば交換日記のようなものが同人誌の本来のあり方だったと思います。創作物の交換という形式で互いに競い高め合い、時に見解が衝突することもあったことでしょう。しかし時代は変わり、同人のあり方が多様化した今では、同人という言葉の意味も誰かが包括的に定義できるようなものではないのが実情です。少なくとも私はそう思っていました。

しかし、自分が同人活動に加わってみて感じたことは、同人というのは案外狭い世界で狭い人間関係の中で行われている実は閉鎖的な文化なのではないか、ということでした。前述の通り私のスペースは石ころ帽子を被ったが如き有様でしたが、隣のスペースは比較的盛況で多くの人が集まっていました。しかし、会話に耳を傾けてみると、隣に来ているのは作者の知り合いばかりで、前にいつ会ったとか何時間寝たとか新刊出すのかといった、内容にはほとんど関係ない世間話ばかりで、私には馴れ合い集団に感じられました。何しろ私はヒトとの馴れ合いが嫌いなあざらしなので、正直アホくさと思って聞き流していました。

実のところは、過去に結構売れているサークルや同人イベントに参加する人々を見てきた中で、彼らが見ているのは作品というよりも人なのではないかという思いはありました。いや、最初は誰もが無名なので作品で評価されたのでしょう。しかし、その後は人としての力、あるいはカリスマ性のようなものが左右する世界に入っていくのではないか、それが同人として生きていくということなのではないかという思いが強くなりました。それはかつて私が学会で経験してきたことと大差ないことでした。インドの古いことわざにあるように、人を憎んで罪を憎まずというのが人間界のあらゆる集団で共通する規則であり、あるいはヒトという動物の遺伝子に刻まれた構成情報なのではないかと、あざらしは考えました。

先にも言ったとおり、私は馴れ合いを嫌います。生まれたときからそうして生きてきました。同人活動において興味があったのは、この作品には他にどんな表現の可能性があるのだろう?マイナーと言える作品に対して興味を持つヒトがどれだけいるのだろう?ということでした。いわば一つの実験として私は同人活動を始めました。同人イベントに一般で入るときは、おそらくその場で1、2サークルしか出していないであろう作品の二次創作や、当然ながら唯一のオリジナル作品を集中して買いました。そのときに作者と多少話をすることもありましたが、それは例えば何部刷ってこの値段なのか、これはまた珍しい出品ですね、好きな作品だけどなかなか出ないので見つられけて良かった、などの少数の言葉です。しかし、売れているところを見ると結構よく話し込んでいるのを見かけました。それは少数の例というには有意に多かったという印象です。なるほど、彼らはそもそもpixivやtwitterなどでちゃんとコミュニケーションを取っている。私のように「あざらし」など独り言をずっと言っているのではない。そして現実でも普通に話を弾ませることができる。そうやって人との関わりをもって同人として活動をしているのだと思いました。私とは何もかも違いました。

もう一つ感じたのは、私が興味を持つようなジャンルとメジャージャンルとの間に天と地ほどの差があることでした。別にサブカルクソあざらしを気取りたいわけではありませんが、流行に乗りたいという考えは私には欠片ほどもありません。しかし、売れるものは売れる、売れないものは売れない、The rich get richer and the poor きっと perish. 私はかつて本を売るバイトをしていたので、そのことは当たり前に経験していました。しかし、自由な表現の場だからこそ残念に思うところもありました。同人は例外どころかジャンルの偏りが強く現れる場でした。多くの作家は売上を自分のスコアとして見ていると思われることを考えると、メジャージャンルとその他で極端な分布が生まれるというのは数理生態学の領分です。おそらくヒトをスコアの確率変数として見れば数学的に納得できることなのでしょう。

まぁいろいろ思うところはありましたが、私とてtwitterのつながりから同人に足を踏み入れたのであり、同人が人のつながりと集団的性質によって成り立っていることを否定できる立場にはありません。私が同人から一時でも身を引こうと思ったのは、もっと現実的な問題によるところが大きいと思います。というわけでこの話は終わり。

最後に

私は前回同人活動をやっていくと言ったそばから同人活動を当分の間休業すると考えをあっさり翻しました。それには様々な要因がありますが、現状が宜しくない状態であることは最初に言ったとおりです。もし来年のよんこま小町であざらしを見かけたら、こいつまだ生きていたのかと思ってください。