あざらしとペンギンの問題

主に漫画、数値計算、幾何計算、TCS、一鰭旅、水族館、鰭脚類のことを書きます。

Perish or Perish

私のtwitterアカウントを見ていた方はご存知かと思いますが、SC2016秋の新刊を落としました。

まず、「帰宅演習・補遺」に関しては、事前に計画上の無理が生じていたのが分かっていたので、そもそも出さないという結論になりました。これは今回は出さなかったという意味でなく、将来的にも本という形で出す予定がなくなったという意味です。補遺はその名の通り「帰宅演習」の後日談として同じ本で出すことを考えていたもので、12pという分量と当時の進捗から言って絶対に無理と判断したために外したものでした。しかし、自分としては好きなキャラクターの日常エピソードで是非描きたいと思っていたので、次のイベントで出そうと考えていました。内容的に漫画と小説の中間のような形式がふさわしいと考え、外装は同人小説のようにすることを予定していました。しかし、結局本は出ませんでした。

そして、あんハピ♪本「Partageons l'Oiseau Bleu」ですが、これだけは死んでも出すと意気込んでいたにも拘わらず、諸事情で当日まで作画が終わらないという状況でした。最終的には池袋のダイスで作業をすることになりました。そして、やっとできたと思って印刷・製本のために会場近くのキンコーズでスキャナにかけたところ、望みの出力が全くといっていいほど出ないということがわかりました。実はそれは家のスキャナでも過去にやって上手く行かなかったところであり、業務用の機械だからといって上手くいくわけではないということを思い知ることとなりました。そもそも原稿が水彩紙という特殊なサイズであったため原寸印刷ができず、仮にスキャンできたとしても自分では上手く印刷ができなかったでしょう。極端なことを言えば携帯カメラで撮影して適当にいじった方がちゃんとした出力が得られたと思います。これは私が印刷を理解していなかったという以前に、スケジュールに無理があって別の方法が取れなかったことがそもそもの問題でした。

共通して言えることは、私にスケジュールを管理する能力が全くと言っていいほどないということでした。

もう一つの事情としては、9月以降私の体調、精神状態が思わしくない方向に進んできているということがあります。先日医者に言って状況を伝えたところ、薬が1日10錠に増えました。診察費と薬代を合わせるとBDが1つ買える値段です。また、遅刻や欠勤が増えたことから給料が減らされているので、ダブルパンチといったところです。前からあった体の脱力も増えて、朝動けないために遅刻するばかりでなく、注意していないと些細なことでバランスを崩して転倒することが多くなり、日中の路上で天を仰いだとき、もうすべてがどうでもいいという鰭分になりました。立ち上がろうにも捕まるところがないとどうしようもなかったので、路上を匍匐前進してなんとか立ち上がりました。あざらしが匍匐前進をするのは当然です。ともかくこれが薬の副作用かあるいは離脱症状に関係していることはほぼ間違いなく、大きい病院で改めて診察を受けることになりました。MRIは核磁気共鳴を利用するある意味で馴染み深い機器ですが、もし受けるとなった場合どれくらいのお金がかかるのだろう?というのも悩みの種ではあります。もっとも、あざらしのMRI画像というのはそれは貴重なデータになるでしょう。MRIからの立体復元は私の専門分野の一つですので、もしデータが手に入ったら調べてみたいと思います。

私はもうスリーアウトに達してしまいました。同人活動を続ける資格が失われたと言って差し支えないでしょう。仕事と体調のことも原因の一つではあります。また、私はプログラマとしてもっと高みを目指さなければなりません。

以上の理由で、私は同人活動を当面の間休業します。

私の最後の作品は、C91で頒布される『NEW GAME!』 FAN BOOK 「ひとつ夢がかないました!」に寄稿する「はじめてのOpenGL」という4コマ漫画となります。それすらも落としそうなのですが。

もし復帰するとしたら、早くとも来年のよんこま小町になるでしょうか。前に言ったよんこま文化祭のように狭い範囲で好き者が集まってやるイベントがなかなか楽しかったので、私も4コマ漫画が好きなので出してみたいと思ったというのがあります。もちろん現時点では未定なので、来年の初めには今後の鰭生も含めて決めるつもりです。その頃私は宮崎あたりにいることでしょう。

帰宅演習について

帰宅演習は元々テレビ神奈川で放送されている「キンシオ」という番組をヒントにして生まれました。最近はアニメはインターネット配信で観ることができるため、HDDの残りがなくなったこともあり、録画することは少なくなっていました。私がアニメをあまり観なくなり、あんハピ♪を繰り返し観ているという事情もありますが。その中でずっと録画している番組が「キンシオ」と「水曜どうでしょう」です。特にキンシオは音楽の問題もあってソフト化が難しいことから、テレビ放送が事実上唯一の視聴方法です。

キンシオという番組がどういうものかというと、特定のテーマに沿って吉祥寺在住のイラストレーターであるキン・シオタニが散歩をする番組です。行く場所は多くがなんでもない街で、時にはただの住宅地ということさえあります。大雑把に言えば「モヤモヤさまぁ〜ず2」と「ブラタモリ」の中間のような番組です。私はキン・シオタニの旅人としてのスタンスに共感し、何度かイベントに行って生の話を聞いたりしただけでなく、様々な場所を旅したりもしました。日本で行っていない都道府県は宮崎県と鹿児島県の2つであり、それも正月あたりに行こうと考えています。また、私は「駅メモ」をやっているため、路線を取りに行くという目的も兼ねて、また利用したことがないソラシドエアや「さんふらわあ号」に乗りたいということもあります。実際に乗れるかは日程と予算と空席との相談になりますが。

しかし、近場を散歩するというのもまた一つの旅だと私は思います。近場だからこそ知らなかった物や景色を見たとき、そこには遠くに旅に行って見るのとは違った「発見」があります。新興住宅地とはいえ元は丘陵地や原っぱだったり、江戸時代などに開梱された農地だったりするわけで、ふとしたところにそれらの名残があったりするものです。また、そのような地域にもちゃんと歴史があり、保存されている箇所も少なくありません。普段は見落としがちなところですが、よく見ればいろんなものがそこらにあるというのが、近場を旅することの楽しみと言えましょう。

もう1年前になりますが、C89で頒布された帰宅部活動記録合同誌「帰宅第一」にて、私は「OTCの謎」という漫画を寄稿させていただきました。本に入るという形では私にとって初めての漫画でした。そこで描いたエピソードは、私が同じ2015年に北海道紋別市のオホーツクとっかりセンター(以下、OTC)に行った経験が元になっています。紋別は北の方角では家から最も交通事情的に遠い市であり、あざらしを見るという目的でそこまで行ったことは私にとって大きなことでした。元々考えていたプロットを蹴ってまでOTCの謎を描いたのは実際に経験したことを描きたいと思ったからでした。私にギャグセンスがなかったからというのもありましたが。

その当時、私はいろいろあって大変な状況でしたが、ふと舞い込んできたのがC90の申し込み締め切り迫るという情報でした。OTCの謎は奇を衒い過ぎた部分もあったと思っていたので、今度は真剣勝負で自分の帰宅部を書こうと思いました。そこに近場の日帰りできる場所からの帰宅という考えが重なり、「帰宅演習」という構想が生まれました。タイトルは「帰宅第一」が大学の講義名に似ていたことからの類推と書こうとしていた内容とを合わせて決めました。

最初に考えていたスタート地点は、川崎市高津区の久地円筒分水でした。そこから等々力渓谷を通り、多摩川台古墳群を経て田園調布に至るルートを考えていました。しかし、ただルートを巡るだけでは演習として成立しないので、もう少し何かが欲しいということで、水曜どうでしょうのサイコロの旅が頭に上りました。そのスタート地点を考えたとき、私が思い出したのが横浜市瀬谷区にある「宮沢六道の辻」で、これはキンシオで知ったものでした。帰宅演習を描くにあたっては、もちろん現地調査を行いました。その中で発見したものもいくつかあり、いい散歩になりました。

話を作るに当たってキャラ付けは次のように決めました。原作のキャラと比べて違和感があったらごめんなさい。

  • 桜:変な計画を思いついては皆を振り回す。彼女の台詞から話が始まる。
  • 夏希:ツッコミ役。桜の思いつきには乗り気でないので、違う方向を向いていることが多い。
  • 花梨:【可愛い】
  • 牡丹:強い。ジャ○プ脳。
  • クレア:何でも金で解決。花梨への愛がヤバい。基本はボケだが手厳しいツッコミもする。

本編のネタについて少し説明しますと、最初に出た目で行った「二ツ橋」は、徳川家康が実際に和歌に詠んだ橋であり、帰宅部本編のネタに絡めたところもあります。そもそもすごろく自体本編の扉絵にあったものです。ソボレフ埋蔵定理はクロム酸ナトリウムを意識しています。と作者があまり説明するのは野暮なので、帰宅演習を購入された方は燃やしてなければ読み返してみると何か発見があるかもしれません。なお、本編は12月を目処に未完成版、完成版ともに公開予定なので、未購入ならば少しお待ちください。

このようにかなり思い入れのある帰宅演習ですが、結局C90の段階で未完成のまま頒布したのは以前に書いた通りです。完成版(と言いつつ重大なミスが発覚した)は未完成版購入者のうち半分にはお渡ししました。あと1人は直接お渡しに行く予定です。とりあえず半数に行き渡ったなら上々と言ったところでしょう。値段については、未完成版が印刷費200円のものを200円で売ったので損益はほぼゼロですが、完成版は1冊900円ほどかかっているのでどうしたところで大赤字です。完成版の本はあくまで未完成版購入者様に配るために剃ったので、最初から利益を見込んでいなかったのが実際です。SC2016秋では新刊を落としたので唯一の頒布物となりましたが、手に取ったのが1人でもちろん1冊も売れませんでした。この辺の事情は同人活動について思うところがあるので後で書くことにします。

帰宅演習は元々本とは別に私が勝手にやっていたことが元になっているので、実は描けるネタはいくらでも生み出すことができます。なので、今後はウェブで不定期にやっていきたいと思います。帰宅演習・補遺についても自分ではちゃんと話が書けたと思っているので、同じように公開したいと思います。順番的にはこちらが先になるでしょうか。

あんハピ♪本について

あんハピ♪」という作品は今や私にとっては空気と同じようなものです。当たり前にあって、なければ生きられない、それが私にとってのあんハピ♪です。最近でいうと映画が公開された「きんいろモザイク」は大好きな作品で、これを書いている時点では2回劇場に行っています。しかし、あんハピ♪はもはや好きという次元を超えた存在です。はなこが喋った瞬間脳が溶け、映像だけ観ても音声だけ聴いても優しさに満たされます。原作とアニメでは目指しているところが違うと感じますが、両方ともに良さがあります。正直を言えば、原作は1巻を買ったきりですごろくまでは知っている程度だったのですが、フォワードでは珍しく知っている漫画のアニメ化ということでそれなりに期待はしていました。そして、完全に沼に落ちました。原作はアニメに合わせて集めましたが、アニメでは随分とマイルドに描かれていると感じました。しかし、原作からも漏れ出る優しさはあんハピ♪そのものでした。

あんハピ♪がいわゆる日常系と一線を画すのは、台詞やアニメの歌詞にもある通り、行動することで道を開くというテーマがあることです。勘違いすべきでないのは、あんハピ♪はいわゆる優しい世界ではないということです。むしろ世界は彼女たちにとって厳しいと言っていいでしょう。優しいのは彼女たち自身です。彼女たちは皆周りのことをよく見ていて、誰かが落ち込んでいたら単純に手を差し伸べるというより、時にはそっと、時には大胆に行動して相手を支えようとします。例えば、9話でヒバリが帰り道で落ち込んでいたとき、それまで何の素振りも見せなかったはなこが突然ヒバリの前に走り込んで、お泊りを提案するというシーンがあります。はなこもぼたんも異変にちゃんと気づいていたのです。そこでもし「悩みがあったら話して」と言ったら、ヒバリなら悩みなんてないとでも言ったところでしょう。そこを有無を言わせずお泊りに持ち込んだのははなこの作戦だったのかもしれません。このシーンに関してシルバーリンク展で絵コンテを見ましたが、意図的に変えられいたようです。絵コンテでははなこはヒバリの前に飛び出した後に少し考えてから台詞を言うことになっていたのですが、アニメでは時間を置かずに言っています。もし前者だったとしたら、はなこはヒバリに何とかしたくて考えなしに飛び出した、ということになるでしょう。確かにこちらもはなこの性格的に考えうる行動です。しかし、アニメの方では思いついた時点で飛び出したか、それ以前から言うつもりでいたかということになります。おそらくずっとヒバリのことを考えて出した彼女なりの答えだったのでしょう。このように、あんハピ♪のキャラクターは相手のことを思いやって行動を決められる子たちなのです。

ちょっと語りすぎましたが、私があんハピ♪本「Partageons l'Oiseau Bleu」(自分でもよく名前を忘れる)で描きたかったのは、はなこはちゃんと相手のことを見て、相手の心を思いやって行動できる子であること、友達をしっかり支えているということでした。上に随分と書きましたが、この話は私ととしてそれだけの思い入れを持って作りました。特に、はなこの「迷惑かけていいんだよ」は作品を象徴とする台詞としてそれありきで話を考えました。

形式については、当初は普通に漫画を考えていましたが、帰宅演習で散々苦労したことを鑑みて、絵はアナログで描くことにしました。そのために選んだのが水彩色鉛筆という道具です。選んだ理由としては私が画材をあまり持っていないこともありますが、あんハピ♪の優しい空気感を出すには水彩で描くのが適当であると考えたからです。アニメでも背景は水彩調でしたね。そして、水彩用の画材として私が唯一持っていたのが水彩色鉛筆でした。水彩色鉛筆は色鉛筆と同じように描いた後、水で塗ると水彩になるというスグレモノです。単に水彩絵の具の代用品というのではなく、色鉛筆のタッチを生かしたり、先を水につけて描くとクレヨンのような質感になったりと、使い方次第で様々な表現を可能にする面白い画材です。ともかく、私は鉛筆と水彩色鉛筆を使って描くことを決めました。

その結果、失敗に終わりました。スキャナでデータを取ろうとしたところ、鉛筆の薄い線も水彩の淡い色調も全部飛んでしまったのです。うそだろおい!とスキャナの設定を調整したりパソコン上で色を調整したりしましたが、全く上手くいきませんでした。最終的にはiPadのカメラで撮影してデータとして取り込むことまで考えたところで、私は諦めました。もうサークル入場時間はとっくに過ぎていました。このような事態は家のスキャナで経験がある私にとっては予測できたことです。しかし、間に合わせられるかどうかの崖っぷちで作業していた私はそれを完全に見落としていました。本当のところは前日の時点でもう間に合っていなかったのです。それにも拘わらず本を出すとtwitterで告知したことについては、お詫びするしかありません。

前にも書きましたが、あんハピ♪の二次創作を見かけることは現在の日本において極めて稀であると言えます。だからこそ私が描くしかないと思いました。別に私の作品を見てほしいという気持ちはありませんでした。ただ、あんハピ♪が好きな人がもし来てくれたら、あるいは少しでも知ってもらえたらというつもりで、私はあんハピ♪本を作ることを決めました。とはいえ日常系の空気感を出すためにキャラの表情や背景の表現にはこだわるつもりではいました。しかし、時間が限られた中で描いたそれは、私の未熟さを見せつけるものでした。私が入れ込んだ作品について思い入れを詰め込んだ結果、私にとって納得しがたいものができてしまったのです。それは私の目的に沿うものであったか、今となってはもう言うべきこともありません。しかし、描いた以上は印刷をして本に仕上げなければ、自分で出すと言ったことに反すると思い、印刷所へ向かい、そして撃沈しました。

もっとも、中途半端なものが出なかったことに対する安堵があるのも実際です。帰宅演習は未完成版でも出しましたが、今回は状況が違っていたことを考慮する必要があります。帰宅部本についてはそれを求めている人々がある程度想定でき、かつ一部は私にとって縁のある人たちでした。しかし、あんハピ♪本を求めている人について、私は全く想像がつかず、サンクリのような中規模の即売会に来るのかどうかも見込めませんでした。実際のところは表紙のペーパー(+落書き)を受け取ったのが3人という具合で、仮に本を出したとしても1冊も売なかったことは容易に推測できます。だからこそ形にならなかったことは必ずしもマイナスではなかったとも思います。

サークルスペースに座っていて、目の前をただ通り過ぎる人々や、売れ行き好調な隣のスペースを見て思ったことは、帰宅部およびあんハピ♪という作品が興味を持たれていないという現実でした。私にもっと余裕があれば、人の目を引くために目立つ看板(あの人)を設置すべきだったかもしれません。どんなに興味がなくとも目立つものがあれば人を寄せ付けられる可能性はあります。しかし私が持っていったのはC90のときと違う種類のあざらしでした。仕方ないのでその場で適当な文句や絵を描いた紙を置きましたが、特に効果を上げることはなく、人はこちらを一瞥することさえなく通り過ぎていきました。一方で隣のスペースには多く人が集まって何やら話したりしていましたが、それについては私として思うことがあったので後述します。

あんハピ♪本に関して私は痛い思いをして終わりました。これもまた今後本として出す予定はありません。しかし、私が描いた帰宅部以外で思い入れのある作品には違いないので、描き直すでも何でもしてウェブに上げることを考えています。

同人誌の価値

当分の間、創作活動をインターネット上のみで行うことを決めたとして、同人誌の価値とは何かという疑問が残りました。私にとって同人活動は一種の社会実験でした。しかし、本に値段をつけて売る以上、買う人が一体何にそれだけの対価を払っているのか、適切な値段設定とは何かというのは常に悩むところでした。

例えば、帰宅演習の当初想定していた売値は300円でした。これは、過去の即売会で見た最低レベルの値段に合わせたものですが、20ページに3話ということでまぁ300円くらいがちょうどいいだろうと思ってつけた値段です。元より利益は考えていなかったのでコピー本としては200円(印刷費と同程度)でも良かったと思います。結局未完成版を出すことになり、200円に下げましたが、本当ならタダで配ってもよかった、あるいは未完成なら出すべきですらなかったと思います。しかし、それでは帰宅部活動記録の価値を下げる格好となって申し訳が立たないので、敢えて200円を取らせていただきました。

そもそも何百部何千部売るのでなければ利益など出るわけないので、値段は好きにつければいいのです。実質0円のものを作品に対するリスペクトから200円にしても構わないはずです。とはいえ、未完成版を買っていただいた方々は帰宅第一から縁がある人と、帰宅部本を集めている人でおそらく全員だったと思います。なので、完成版は全員に受け取っていただきたかったのですが、まぁそれは仕方ないでしょう。

同人誌を値段を見て買うのは少なくとも500円を超えるところからでしょうから、同人誌に払う対価というのは、それを所有することに対するもの、あるいは作者にビールをおごるようなものだと思います。同人誌は明らかに本としては割高であり、中身はそれこそ即売会なら全部見ることも可能です。それにお金を払うということは、所有することに価値を見出しているか、あるいは作者に対する敬意や応援か、そのいずれかなのだと私は思います。

同人とは

大きな標題を掲げましたが、別に同人の定義などをとやかく言うつもりはありません。しかし、同人誌を頒布するという活動について、自分がその立場になっていろいろ思ったことがあるので、ここに書かせていただきます。

同人、それは同じ人と書きます。志を同じくする人が互いに考えを交換する、いわば交換日記のようなものが同人誌の本来のあり方だったと思います。創作物の交換という形式で互いに競い高め合い、時に見解が衝突することもあったことでしょう。しかし時代は変わり、同人のあり方が多様化した今では、同人という言葉の意味も誰かが包括的に定義できるようなものではないのが実情です。少なくとも私はそう思っていました。

しかし、自分が同人活動に加わってみて感じたことは、同人というのは案外狭い世界で狭い人間関係の中で行われている実は閉鎖的な文化なのではないか、ということでした。前述の通り私のスペースは石ころ帽子を被ったが如き有様でしたが、隣のスペースは比較的盛況で多くの人が集まっていました。しかし、会話に耳を傾けてみると、隣に来ているのは作者の知り合いばかりで、前にいつ会ったとか何時間寝たとか新刊出すのかといった、内容にはほとんど関係ない世間話ばかりで、私には馴れ合い集団に感じられました。何しろ私はヒトとの馴れ合いが嫌いなあざらしなので、正直アホくさと思って聞き流していました。

実のところは、過去に結構売れているサークルや同人イベントに参加する人々を見てきた中で、彼らが見ているのは作品というよりも人なのではないかという思いはありました。いや、最初は誰もが無名なので作品で評価されたのでしょう。しかし、その後は人としての力、あるいはカリスマ性のようなものが左右する世界に入っていくのではないか、それが同人として生きていくということなのではないかという思いが強くなりました。それはかつて私が学会で経験してきたことと大差ないことでした。インドの古いことわざにあるように、人を憎んで罪を憎まずというのが人間界のあらゆる集団で共通する規則であり、あるいはヒトという動物の遺伝子に刻まれた構成情報なのではないかと、あざらしは考えました。

先にも言ったとおり、私は馴れ合いを嫌います。生まれたときからそうして生きてきました。同人活動において興味があったのは、この作品には他にどんな表現の可能性があるのだろう?マイナーと言える作品に対して興味を持つヒトがどれだけいるのだろう?ということでした。いわば一つの実験として私は同人活動を始めました。同人イベントに一般で入るときは、おそらくその場で1、2サークルしか出していないであろう作品の二次創作や、当然ながら唯一のオリジナル作品を集中して買いました。そのときに作者と多少話をすることもありましたが、それは例えば何部刷ってこの値段なのか、これはまた珍しい出品ですね、好きな作品だけどなかなか出ないので見つられけて良かった、などの少数の言葉です。しかし、売れているところを見ると結構よく話し込んでいるのを見かけました。それは少数の例というには有意に多かったという印象です。なるほど、彼らはそもそもpixivやtwitterなどでちゃんとコミュニケーションを取っている。私のように「あざらし」など独り言をずっと言っているのではない。そして現実でも普通に話を弾ませることができる。そうやって人との関わりをもって同人として活動をしているのだと思いました。私とは何もかも違いました。

もう一つ感じたのは、私が興味を持つようなジャンルとメジャージャンルとの間に天と地ほどの差があることでした。別にサブカルクソあざらしを気取りたいわけではありませんが、流行に乗りたいという考えは私には欠片ほどもありません。しかし、売れるものは売れる、売れないものは売れない、The rich get richer and the poor きっと perish. 私はかつて本を売るバイトをしていたので、そのことは当たり前に経験していました。しかし、自由な表現の場だからこそ残念に思うところもありました。同人は例外どころかジャンルの偏りが強く現れる場でした。多くの作家は売上を自分のスコアとして見ていると思われることを考えると、メジャージャンルとその他で極端な分布が生まれるというのは数理生態学の領分です。おそらくヒトをスコアの確率変数として見れば数学的に納得できることなのでしょう。

まぁいろいろ思うところはありましたが、私とてtwitterのつながりから同人に足を踏み入れたのであり、同人が人のつながりと集団的性質によって成り立っていることを否定できる立場にはありません。私が同人から一時でも身を引こうと思ったのは、もっと現実的な問題によるところが大きいと思います。というわけでこの話は終わり。

最後に

私は前回同人活動をやっていくと言ったそばから同人活動を当分の間休業すると考えをあっさり翻しました。それには様々な要因がありますが、現状が宜しくない状態であることは最初に言ったとおりです。もし来年のよんこま小町であざらしを見かけたら、こいつまだ生きていたのかと思ってください。