大変見苦しいものをお見せして申し訳ありません

もう年度末ですが,90日以上も更新をひとつもしなかったことに自分でも驚きました。それ以上に,自分のブログをもっと見直すべきだと思いました。一応,ちまちま過去の記事を直したりはしていたのですが,それも90日以上途絶えていました。私はブログを書くこと自体に責任を負う立場ではない(文責は別)ので,更新をサボっただけで謝罪する必要はないと考えますが,しかし,酷い広告を頭から見せつけてしまったことを心苦しく思います。

と思ったらスマフォ版ではちゃんと更新してもタイトルの下に広告が表示されてしまうようですね。スマフォでブログを見たことがなかったので気づかなかったです。まぁ,広告より下にスクロールして読むに値するものが書いてあるかどうかは別ですが,正直勘弁してほしいです。

Last Straw! Ad Ass!

広告という「癌」

本ブログは90日以上更新されないと広告が記事の前に出ることになっています。それまでは記事の最後にひとつ出ていたものが,頭からドン!です。その中には端末を投げ捨てたくなるほど大変見苦しいものがあったかもしれません。私はあなたの端末で何の広告が出るかを見ることさえできません。

最近の広告はブラクラレベルの醜悪なものばかり。加えてスクリプトにも次々と改変が加えられて,コンテンツを圧迫するほどにまで増長しているものも見かけます。酷い場合には広告に悪質なスクリプトが仕込まれていて,画面に表示されただけで悪意あるページに飛ばされ,マルウェアを植え付けられるような malvertisement = malicious advertisement が,広告会社世界最大手 Gxxgle によって配信されてしまうことも度々ありました。

このブログは何気に8年もやっていますが,その頃はそこまで酷くなかったと断言できます。さらに遡ってこのブログを始めるよりずっと昔に無料で公開できるウェブサイトを持っていたときの広告はテキストのみ,それも某動画サイトの動画の上に表示されるような下品極まりない文字列ではなかったと思います。そりゃまぁ,地下系サイトを見ていれば酷い広告は山ほどありましたが,それはそういうところだから仕方ない,辞書や旅日記など「地上の」ウェブサイトで見ることはまずないものでした。

それが今や地上のウェブサイトで見る広告が閲覧注意との警告をつけないといけないレベルで,レイアウトを破壊しコンテンツを見させないほど画面を埋め尽くし,コンテンツより大量のデータ通信を行い端末リソースを消費させるなんて,高々5年前でも想像しませんでした。こんな性質を獲得してしまったものを「癌」と呼ばずになんと言うべきか。

次の記事では広告ブロッカーの有無によるデータ通信量の比較が行われています。

prtimes.jp

Wikipedia などの広告を出さないサイトや密林などのショッピングサイトを除けば,多くのウェブサイトにおいて広告がコンテンツと同程度かそれ以上の通信量を発生させていることがわかります。モダンなウェブサイトを閲覧するだけでも相当な通信量が発生するのに,その半分近く広告に持っていかれているのでは,外でスマフォからアクセスすることの多いサイトでは,金を払ってでも広告を消せる方が割に合うのではないかとさえ思います。

表示に支障が出たらネットワークに問題がある*1とさえと言われる「阿部寛のホームページ」なら incognito で100回見ても余裕でしょう。見た目は前世紀ながら逐一最新情報が更新され,まさかの IPv6 に対応しています。*2もちろんこのサイトは彼自身の活動に関する経費で運営されているので広告は一切ありません。難点は文字コードが Shift JIS なのでクライアントによっては文字化けすることです。もっとも,日本の文字では UTF-8エンコードするよりデータ量が少ないので,それが高速性に寄与しているかもしれません。

阿部寛のホームページ

阿部寛の話はここまでにして,通信量以上に問題なのは広告のアレ(内容なんて言葉を使うべきでない何か)が酷過ぎることです。インターネットを見るときは死体くらい普通に出てくるといった心構えは必要かと思いますが,生きている人間のコラ画像と虫が湧いた死体とが比較になるほど広告のアレは酷いものがあります。大体書いてあることが嘘八百なので,その広告に関わった人間全員捕まってほしい,その上で自分の写真をどこかの広告に勝手に利用されて世界中に晒されたらいいと思います。

広告の恩恵と汚点

現在,インターネットでは多くのコンテンツやオンラインサービスが無償で提供されています。寄付で賄われているものを除けば,そのほとんどは広告によって費用が賄われていると考えていいでしょう。広告主は自社や商品の宣伝のために相当な経費を割いています。大企業であれば億単位の金をドバドバとつぎ込んでいるわけです。広告は日常の至る所で見かけますが,付箋1枚程度のものでも馬鹿にならない費用がかかります。要は誰かが大枚をはたいてくれているおかげで,いろんなことが無料でできるわけです。この記事をはてなブログに書いている私とて広告の恩恵を大いに受けています。

問題は多くのインターネット広告が利用しているアドネットワークというシステムにおいて,何の広告がどこで表示されるかを知ることのできる人間がこの世に存在しないことにあります。広告主も代理店も自分のところの広告がどのサイト,誰の端末の上に出るかなんて知らないでしょう。例えばこのブログの広告スペースに。それは筆者である私とて同じことです。私の PC から見た広告は他人のそれとは異なるのですから。アドネットワークを利用する運用型広告というのはそういうものです。まるでインターネッツみたいだな!

どんな広告でも,ろくでもない広告代理店がアドネットワークのどこかの支流に放流してしまえば,最終的にはインターネットの大海に拡散される可能性が高いでしょう。見た目が不愉快極まりない広告のみならず,本気で端末を乗っ取りにかかる悪意ある広告さえも,流れてしまえば後はどこかの端末で表示されるのを待っています。

悪質な広告の処分が追いつかないのは,途方もない数が生成されては流されているからでしょう。実際にページに広告を表示させるのはサイト管理者が契約したインターネット広告業者(大半は Gxxgle だと思いますが)なので,そこが悪質な広告を発見して未然に駆除できればいいのですが,現実は想像のはるか上を行っていました。2020年の1年だけで31億件(あくまで発見された数)削除とか,逆にどうやったら Java が走るデバイスより多数の汚物を意図して作れるんだ(絶望)

www3.nhk.or.jp

代理店やアフィリエイターが悪質な広告を作成したという話もよく耳にします。もし本当に広告主が把握していないとしたらそれも重大な問題です。自分のブランドを傷つける広告を出すってどういうことなの?

とはいうものの,アドネットワークは広告主にも代理店にも制御できないので,例えばそれが気象庁のページに表示されたとしても,何の不思議もなかったわけです。

よくある言い分として,そういう広告が表示される人はそういうサイトを見ているからというのがありますが,全く不当な言いがかりです。あるユーザの広告スペースに表示する広告を選択するアルゴリズムは,新規開発のためにある程度は履歴と関係のないものを流すことがあります。そのため,一度も興味を持ったことがないし,二度と見たくない広告が表示されてしまうことは誰にだってあり得ます。

現状の広告システム(サイトが確実に調査・管理している場合を除く)では,広告を表示すること自体がウェブサイトやアプリの汚点となり得ます。そりゃあ画面の一部とはいえ汚物が表示されるわけですからね。デザイナーも広告のアレがページのデザインとマッチすることなんか期待できないはずです。悪いときにはレイアウトを崩され,ユーザビリティを著しく下げられます。そんなものを要素として含むウェブサイトやアプリを利用するのは,コンテンツがよほど強力でないと無理ですね。そのせいで私は某辞書アプリとか消しました。有料会員になるほど必要でもなかったので。

このブログにしても,記事の下に出る広告の方は,筆者である私が一切制御できない(できたとしても実行すると規約違反で ban される)要素です。私が有料ユーザになれば別ですがその予定はありません。90日以上も更新をサボる筆者に期待しても無駄です。

インターネット広告の多くが見た目が酷い上にやり方がセコいです。できればほんの一部と言いたいところですが,現状は多くのインターネット広告がそうだと言わざるを得ません。便所の落書きの方がマシだと思わされるなんてどうかしています。恩恵と引き換えにその汚点を許容できないので,私は容赦なくブロックさせていただきます。その広告に関わった人間全員捕まらないとしても,スマフォや PC の画面になんとか少女の広告が出てきてどうやっても消せない呪いにかかってほしいと思います。

気象庁の場合

さて,もう許してやろうか,いや,ダメだ,あり得ない,日本国民の生命と財産に大いに関係する気象庁の予算を減らす国など容認できるはずがあるか。

そう思わされたのが気象庁のウェブサイトへの広告掲載です。結果は知っての通り初日でコケました。基準に違反する詐欺広告が表示されたというクレームが入ったためです。そんなことはやる前から判っていたというのが私の思いです。公式発表が出たときに,現状が基準を満たさない広告ばかりなので,自前で広告主を募集でもしなければ不可能だと思いました。

それ以前に広告のために表示に遅延や余計な通信が生じること,広告によってページの閲覧にいかなるノイズが入ることも公共の害です。レイアウト崩れで情報に被ってくるなんてことがあれば,それは国が犯した失態ということになります。あるいは,注意報や警報を見ているときに,似た色の広告が表示されたら紛らわしいことこの上ありません。

現在は方針を改めて広告を復活させたようですが,そのために追加の人件費も下りないのに,本業と平行して広告審査に回された職員が存在することを大変残念に思います。なお,最初にコケるまでの間の広告で金を稼いだ奴は自分の汗から専用の積乱雲が生まれて,晴天の中で自分だけ集中豪雨と雷と竜巻に巻き込まれてください。

許容できる広告とは

テレビの砂嵐*3を30分見続ける方がマシな広告動画を見せるやり方として私が許容できる数少ない方法は,ユーザが動画を再生するとアイテムなりコインなりを与えるというものです。動画を再生している間は瞑想タイムとなり,その後に報酬がもらえるので Win-Win です。もちろん,この手のものにも不快なものが紛れてくることがありますが,意図的に再生しているので無視を決め込むことができます。

嫌らしいのはアプリの広告でニセ×ボタンくさいものがあって,どんなに真ん中を攻めても2回くらいストアに飛ばされるというものです。広告の UI(なんて言葉を使いたくもないですが)がアプリ内で統一されていないのは,開発者の怠慢か,あるいは意図的にミスを誘っているのか?

もっと酷いのはプレイアブルを偽装して髪の毛一本でも触れた瞬間(タップ判定以前)即ストアに飛ばす奴,しかも内容が違うという詐欺までセットだったりするのは,殺意を覚える以外のことがないですね。アイテム獲得条件が動画を再生して終えることなので,ストアに飛ばされることは義務ではないのです。よって,その間はストアの起動をブロックして意地でも開かせないことにしています。あと,その広告を作った奴はスマフォや PC の画面になんとスケイプの広告が出てきて永久に失敗を見させられる呪いにかかれ。

まとめ

インターネット広告はもはや癌です。その恩恵によって我々は多くのコンテンツやオンラインサービスを無料で利用できる代わりに,結構な頻度で酷い広告を見せられます。それらはウェブサイトの汚点であるばかりでなく,デザインを破壊し,ユーザビリティを下げ,最悪の場合はマルウェアを感染させます。

5年前ならまだ広告は必要悪だと考えて使っていたものが,今は積極的にブロックすることが,本質的に自己責任であるインターネットにおいて当然取るべき自衛措置だと考えるようになりました。それなりに効果のある広告ブロッカーを入れないと,もはやまともにインターネットを利用するのは無理だと感じます。広告を葬り去れるならその類のサービスに金を払ってもいい,興味あるコンテンツに限って直接金を落とす方法が選択肢にあればそうする,これはインターネット処世術の範囲内だと現在の私は考えています。

よし,次は90日以内に更新するぞー!

*1:モデム時代はフレームと画像のために多少読み込みが支えることがあったかもしれません。私はその頃からインターネットに触れていましたが,フレームの多用はデザインとパフォーマンスの観点から避けるべきとの意見があったと記憶しています。

*2:阿部寛のホームページ」で初めて IPv6 に遭遇したとの声すらあります。

*3:アナログ放送で電波が入らないときにノイズだけが映る現象。あの「ザーーーー」という音も今や懐かしい。

ゆるめいつよ、永遠に

5月になった。といっても,もう12日,黄金週間などとっくに過ぎた後だ。今年は祝日法の規定により5月6日・水曜日が3日前の憲法記念日の振替休日となり,GW の終わりが伸びたはずだった。しかし,何の実感もなく現在に至った。世界を騒がせている某ウイルスのせいかといえば,私の場合はそれには当たらないので省略。

そんなことはさておき,これまた過ぎた5月9日は「合格の日」であったらしい。して,今回の記事は,合格なるものと対極にあり続け,今年14年の連載を終えた4コマ漫画『ゆるめいつ』(作:saxyun)に捧げる。

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作品の概要

ゆるめいつ』で描かれているのは,とあるアパートに住んでいる浪人生(しか住んでいない)達の堕落した日常である。といっても退廃的・悲観的な様子は微塵もない。登場人物たちは,ぬるま湯の沼に引きずり込まれて抜け出す意思さえ失った,楽観的諦めの境地に達している。また,酒に酔って楽しくなった状態をキープして毎日を過ごしている。グルメ漫画ではない本作の多くの話が酒を飲んで終わることは特筆に値するだろう。

本作ではあくまで「日常」が描かれているのであって,そこに「生活」はない。たまに誰かしらが驚くべきことに「バイト」という単語を発することこそあれ,誰ひとりとして僅かでも労働の空気をまとっていることはない。その謎を解明しようとすると世界から消されるかもしれないので,この辺にしておく。

作中の時間の流れについては,サ○エさん時空であるかどうかは不明だが,少なくとも2浪までは時間が経過していると考えられる。主人公の『相田ゆるめ』は最初18歳であるのに,後々の回ではがっつり飲酒をしているからだ。本作において,酒は重要アイテムであり,主人公も含めて酒が飲めることは必要性だろう。それ以降はサ○エさん時空であるかもしれないし,実際にその後14年の留年を経ているのかもしれない。これも追求したら世界から消される恐れがある。

「話」の自由度と設定について

私は『ゆるめいつ』について,4コマ漫画として十分に洗練された作品だと見なしている。よりにもよって本作に野暮な議論を挟むことは憚られるが,本作からは「話」を自由に展開するために大事なことが詰まっている。それを3つの要素に分けて述べることにしよう。

理性と感情の欠落した「話らしい話」

ゆるめいつ』はどの回も,4コマ漫画として完結している。話の展開は奇術のようであり,各4コマのオチは作品タイトル通り基本的にゆるめだが,流してはいけないものを流しているようなことが多い。総オチは現実逃避,酒,宴の後の荒廃などが通常営業で,時に落語のようなオチがつくこともある。

それらに対して,行間を読んだり,登場人物の感情を考えたりすることは無意味だ。話は話であって,それ以外の何物でもない。終始,読者を笑わせたり,不思議な気分にさせたりするためだけに,話が展開されているのだ。先程日常系と言ったが,登場人物の言動はあくまでコメディの脚本として組み上げられたものである。もし,彼女らを本物の人間だと考えるなら,救いようがないレベルで思考が荒廃している。実際,最初から最後まで救いようがない。

極端な言い方をすれば,笑い話には登場人物の理性も感情も,読者の共感も必要ない。話として上手く組まれているならば,登場人物たちは,およそ理性が崩壊しているような行動をとってこそ,読者の笑いを誘うのだ。

外の読者にやさしい世界

大抵の作り話では,読者はあくまで話の外にいる,現実の脳を持った人間であることを考慮する必要がある。世界観が読者の感覚から乖離することは,その要請がなければ避ける方が望ましい。同じ人間でも,国や時代や民族や宗教が違えば,モノの見方や考え方も大きく変わってしまう。例えば,ある国の人が午後にカプチーノを飲むことを「どうかしている」と捉えているとしよう。だが,それを滑稽話として捉える感覚は,日本生まれ日本育ちの私には存在しないので,まるでピンと来ない。せいぜい,向こうに行ったときに自分が笑いの種にされたら面白くないなぁ,と思うくらいである。このように,読者の思考ベースが話の外の現実の脳にある以上,話とは逆に世界はそこまで現実離れしない方がいいだろう。

ただし,話の中の世界というものは,話を展開するための舞台に過ぎない。その中だけで完結できるならば,見えるところだけハリボテで埋めれば十分だ。設定厨がよくやるような,世界全体を創造《ジェネシス》する必要は全くない。私はその経験者であり,ノート数冊分の資料集を作って,話自体は途中で筆を忘れてしまうことがよくあった。それはそれで楽しかったのだが,話を作るにはほとんど無駄でしかなかったと考える。

ゆるめいつ』の舞台は東京の田舎にあるオンボロアパートである。それは例えば八王子になら普通にありそうなもので*1,日本の現実からかけ離れているわけではない。壁が貫通して隣室と繋がっていたり,存在しない3階から音が聞こえてくるとかいったことはあるが,それくらいは舞台装置の範囲内である。少なくとも私にとっては。その設定も連載が進むと忘れられたようで,その後の話ではほとんど出てこない。

本作は前節の通り,登場人物たちが一般的な思考から引き出せないような行動を取ることで,4コマ漫画としての流れやオチを作っている。笑いを生むのは人物の言動であって世界ではない。

デフォルメの役割とキャラクターの必要十分性

ゆるめいつ』のキャラクターについて,その絵柄と性質のいずれについても,第1巻のうちにほとんど完成されている。主人公の「相田ゆるめ」は十分に可愛らしく,必要以上に萌えに傾いてはいないと私は思う。他のキャラクターたちについても,それぞれが必要十分だと思う。そして,極めて安定した完成度の高いものだとも考えている。14年の連載の中で,初期を除けばここまでキャラクターが変わらないというのは珍しい。それほど彼女らは安定不動点にいるのだ。

キャラクターは基本的に外見(絵)と思考パターンからなる,多面性を制限された造形物である。何かしらの対象をキャラクターに落とし込むことは広義の「デフォルメ」である。キャラクターはすべてデザインされるものであって,現実の対象とは明確に別物である。たとえ実在の人物がモチーフになっても,それ自体からは多かれ少なかれ要素を削ぎ落とされている。

デフォルメは様々な点でキャラクターを捉えやすくし,話の展開の上で特定の役割を演じさせるために役立つ。というよりも,デフォルメなしではどんな話も書けない。たとえノンフィクションでさえ,執筆者のフィルタによって話の構成・展開において邪魔な要素は切り捨てられている。それには意識的/無意識的のどちらも十分にあるだろう。

ゆるめいつ』のキャラクターは,私から見れば必要十分であり,絵柄も早くに完成されている。デフォルメの程度は大抵のストーリー漫画よりはずっと高いが,現在の一般向け4コマ漫画の中では真ん中高めくらいだと思う。あるいは,14年前頃のきらら系の紙面なら浮かない程度には,萌え4コマ発展期の面影を保っている。彼女らは14年間も外見上は歳をとっていない。巻を追う毎に絵柄がより可愛らしくなっているとは感じるが,原型は最初から全くというほど崩れていない。あくまで定まっていた絵柄がより洗練されていったということだ。

私にとって『ゆるめいつ』とは

ゆるめいつ』は,まずは面白い4コマ漫画だった。『ゆるめいつ』という作品は,4コマ漫画のひとつの頂に達していたのだと私は考える。私にとっては聖典のひとつに数えていい。

前節で述べた話の構成論は『ゆるめいつ』において早い段階から完成されており,長い連載を経ても一貫していた。彼女らに一切合格の気配がなく,大体酒を飲んでは寝て終わることまでを含め。

もちろん,すべての4コマ漫画がこのやり方に従う必要は全くない。ただ,『ゆるめいつ』という漫画が笑い話のひとつの構成論を究めていたことで,私が saxyun 先生の漫画の巧さのほんの一部を見たという話である。

始めに書いたように,『ゆるめいつ』は「日常」を描いた作品であり,たとえ作品が完結しようとも,彼女らの堕落した日常は続いているのだと思われる。私の確信は本作の一貫性によって支持されている。それを踏まえて最後の賛辞を述べよう:

ゆるめいつ』はどこかの世界で変わることなく続いている。
登場人物の誰も決して合格することはないのだ!

近況

PC のトラブル,そしてお遍路へ

本ブログの直前の更新から2ヶ月以上も過ぎている。さすが,『ゆるめいつ』を聖典と位置づける筆者(前節までは「私」で通していたが,ここで戻す。)のなせる業だ。

というのも,筆者愛用の Arch Linux 入りノートPCで,3月半ばから発生していた Xorg*2 の更新が原因と考えられるサイレント・フリーズ*3が頻発するトラブルに見舞われていたため,ブログを執筆する気分が大きく削がれてしまった。

それと前後して,筆者が四国へお遍路に出たとき,ただでさえ荷物になる上に,前述のこともあって,ノートPCは持っていかなかった。そういうわけで,筆者はブログを更新しなかったのである。

Vim or VSCode?

実を言えば vim on xterm でテキスト編集できないことはなかったのだが,日本語入力が面倒過ぎて早々に諦めていた。しかし,この記事はここまで vim で書いている。それは,次のサイトのプラグインを利用したり,キーマップをカスタマイズしたりして,日本語入力が多少なりとも楽になったからだ。

fudist - vim/gvimで日本語を使いやすくする

長らく使っていた VSCode(実際はオープンソース版の code)が再び使えるようになったのだが,前述のトラブルを経験をしてからというもの,いっそ vim をカスタマイズして日本語入力をやりやすくした方がいいのではないかと考えたのだ。とはいえ,中程まで書いて慣れてきた頃に改めて面倒だと思った。やはり vim はプログラムや英語の文章の編集に使い,ブログの執筆は元通り vscode に戻した方がよいと。

以上が筆者の近況である。次は何としても5月内に書きたい記事があるので頑張りたい。(5月は失踪しました。)

*1:八王子の皆さん,こめんなさい。

*2:Linux でよく使われているフリーの GUI 環境

*3:突然,画面が固まって,一切の操作が不能になる事態。電源ボタンの長押しによる強制終了以外できなかった。その上,システムログには凍結の形跡が一切残らなかった。その頻度は日に日に高くなり,4月頃には全く使い物にならなくなった。ようやくやっと,ハードウェア・アクセラレーションが原因であることを突き止めることに成功し,Xorg の設定で無効にすることで解決を見た。

だれ?らじ

Web ラジオの『だれ?らじ』(音泉,毎週火曜配信)が面白い。いや,前から面白かったのだが,平成末期からは特に面白くなったと感じる。ひとつの要因として,2019年に『だれ?らじ三連単』が始まった*1ことが考えられる。番組後半はリスナーも含めて悪口の嵐が吹き荒れるのが恒例だった。まぁ前半も大概だが。深い仲だからこそ言葉に遠慮がなく,悪口をぶつけ合っても次の瞬間には忘れて喋り続けているところがこの番組の良さだと私は思う。

ただ,筆者が最近の『だれ?らじ』が特に面白いと思うのは,野村(香菜子)が弾けているからだと思う。注意しておくが,「野村」というのは単なる呼び捨てではなく,ニックネームのようなものだ。他のパーソナリティ2人からだけでなく,リスナーからも普通に「野村」と呼ばれている。「野村ァ」という表記も公認されているようだ。もっとも,他二人のパーソナリティには「お前」「こいつ」呼ばわりされることも珍しくない。一応,元所属事務所の後輩なのだが。

野村は潔癖症であることを除けば,およそ拒絶するということを知らないようだ。それは最年長の余裕などというものではなく,吸収力抜群の子供のような素直さから来るものだ。私はこのラジオ番組を100放送回(何度か聴き直すので延べで3倍くらいにはなる)以上聴いているが,彼女が誰かの発言について疑ってかかった場面を知らない。逆に,腹の内を隠して言葉を取り繕うことも全くできないようだ。そのため,周りが驚くような浅い発言をして突っ込まれたり,一瞬の感情を瞬発的に口走ったり(「脊髄反射でものを言う」と評される),思考のステップを飛ばした発言して(例:肝が冷える台詞に対して「夏みたい」*2)といったことが頻繁にある。また,純粋であるがゆえに,野村がネタで言ったキツめの台詞に対して,本気で言っているようで一番響くと言われたこともある。

野村はまた外部からの影響も受けやすいようだ。2019年末にはリスナーのメールや他のパーソナリティ2人からも言葉遣いが荒くなったことに言及された。いや,原因はあなたたちでしょうに。「X(メ木几又を組合せた1字)すぞ」などの暴言は『だれ?らじ』では当たり前に飛び交うものだが,野村がそれを乱用するようになり,番組の治安の悪さに貢献している。もっとも,野村の場合は子供が汚い覚えて使いたがるような感じで迫力はないのだが。

筆者が『だれ?らじ』にたどり着いたのは,『ららマジ』というモバイルゲームで角元明日香という声優を知ったことに始まる。3人の元々の接点であった某ミリオンのことは,ほとんど番組内で流れてくる話でしか知らない。もし『ららマジ』をプレイしていなければ,今でも『だれ?らじ』を聴くことがなかった可能性は十分に考えられる。そうすると角元明日香と野村香菜子のことはそれこそ「誰?」という状態だったかもしれない。(『ららマジ』について言いたいことは八甲田山の積雪ほどにあるが,それは別に独立の記事を立てるかもしれない。)

なお,ベイ先(ベイブレード先輩。諱:駒形友梨)のことは『だれ?らじ』以前から,名前と顔と『ラジオどっとあい』をやっていたことくらいは知っていた。多分どこかで目か耳に入った「ベイブレード先輩」のインパクトが強すぎたせいだろう。見た目のインパクトについてはラジオで散々いじられているのであえて言うまでもない。そんな彼女になんとファンクラブができたそうで,「誰だかよくわかんねぇ」のコンセプトから全く外れてしまった。とはいっても,声優アーティスト・駒形友梨からベイ先への有向パスが存在しないので問題ないだろう。

番組を聴いていてよく思うことは,角元明日香がラジオでもプライベートでも他の二人と本当に打ち解けて楽しくやっているなぁ,ということだ。彼女は自他共に認める,他人に興味がなく馴れ合いなど不要というタイプの人間であるらしいので,番組とはいえゲラゲラ声を上げて笑う(彼女の笑い声はおよそ「可愛い」というポジションの真逆を行くものである。いつかの回で「蛙か何かを潰したような音」と喩えられたことがある),家族に野村の話をする,収録後に一番くだけて喋っている,などといったことは本来ならばあり得ないはずだ。そんな彼女が現実そうなっていることに,私は「尊い」と感じてしまうのだ。

その角元には昨年から一人暮らしを始めたという大きな変化があり,最近の暮らしぶりの話題が結構出るようになった。以前はといえば,部屋の床が見えない,部屋で飲酒していたが物足りなくなり,夜の帳に消えて翌朝までの記憶がない,スマフォを開いたら知らない友達が多数できていた,飲み会で何かしらあって野村の世話になった,などなど,これ以上は放送に乗せられないのでカットになったというエピソードが多かった。実は野村(既婚者)が一番しっかりしていて角元が一番ぶっ飛んでいるという話は最初からあったが,一人暮らしになってからは上手くやっているようだ。料理が元々できる方だったことは大いに役立っているだろう。(対して,野村は料理の企画で包丁を使ったときの音が「小動物を叩き切る音」と評された。むしろ彼女の私生活が一番謎である。)

他の二人については,今や誰だかわかる声優アーティスト・駒形友梨にしても,事務所を移籍した野村にしても,その都合で『だれ?らじ』から外れてもおかしくなかったのだが,そんなことは一切なく,この調子で3年やってきて,改元と同時期に4年目を迎えた。野村がスペクラを離れたときはどうなることかと思ったのだが,提供が音泉に変わって番組が続いたことは,単なるリスナーとしての私にとっては大きなことだった。と同時に,『だれ?らじ』は事務所という縛りを超えた3人の「ホーム」になったのだと思うようになった。

『だれ?らじ』は私が本当に面白いラジオだと思うので,是非ともお耳を傾けてほしい。がっちり掴まれて引きずり込まれるか,ヤバいと感じて逃げ出すことになるかはわからないが。

『だれ?らじ』を聴く上での前提知識として,パーソナリティそれぞれの呼び名がある。というのも,野村以外は本名とかすりもしない呼び方をされているからだ。代表的な呼び名を次に並べる:

  • 野村香菜子:野村,おのむちゃん,おのむ,お前,BBA
  • 駒形友梨:ベイ,おベイちゃん,おベイ,おベイベイ,ベイ先
  • 角元明日香:まる,まるちゃん,しーまる,明日香
  • サブケツ作家:ケツ作家さん,ケツさん

野村は一応先輩なので「野村さん」と,初期の放送回では野村「さん」と,基本的には「さん」付けで呼ばれていたが,現在ではそんなことは皆無であり,違和感が労働基準法に違反する。

角元については,「しーまる」「まる」が定着する以前は,普通に名前で「明日香ちゃん」(野村からは時々呼び捨て)と呼ばれていた。今でも野村が「明日香」呼びすることはある。おそらく外ではそう呼んでいるのだろう。

駒形については,初回から一貫して「ベイ」およびその派生系で呼ばれている。もはや誰も彼女の名前を憶えていないのではないか?

ケツ作家はスタッフだが実質レギュラーなので併記した。スタッフとの絡みが多いタイプのラジオではあるが,それ以上にケツ作家の立ち位置は特殊だ。どう特殊なのかは一聴すればわかることだろう。

なお,本放送の後のおまけを聴くためには,音泉プレミアム会員になる必要がある。携帯端末アプリ限定であることに注意が必要だ。おまけは 5-8 分程度だが,そのために毎月540円払うに値する。おまけの内容が次回の放送で言及されることも多いので,番組が気に入ったのであれば聴くに越したことはない。

だれ?らじ | インターネットラジオステーション<音泉>

今年は『フリーノート』(ベイ先のブログ。本人以外から存在を忘れられていた。)より更新頻度が下がらないように精進したい。

*1:三連単は破産続きで終了し,後半のパートは『だれらじ風流いとをかし 〜見ざる言わざる聞かざる編〜』(即興でリレー川柳を詠む)を経て,2020年2月現在は『つなぎのコーナー』となっている。

*2:怖い→怪談→夏