ゆるめいつよ、永遠に

5月になった。といっても,もう12日,黄金週間などとっくに過ぎた後だ。今年は祝日法の規定により5月6日・水曜日が3日前の憲法記念日の振替休日となり,GW の終わりが伸びたはずだった。しかし,何の実感もなく現在に至った。世界を騒がせている某ウイルスのせいかといえば,私の場合はそれには当たらないので省略。

そんなことはさておき,これまた過ぎた5月9日は「合格の日」であったらしい。して,今回の記事は,合格なるものと対極にあり続け,今年14年の連載を終えた4コマ漫画『ゆるめいつ』(作:saxyun)に捧げる。

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作品の概要

ゆるめいつ』で描かれているのは,とあるアパートに住んでいる浪人生(しか住んでいない)達の堕落した日常である。といっても退廃的・悲観的な様子は微塵もない。登場人物たちは,ぬるま湯の沼に引きずり込まれて抜け出す意思さえ失った,楽観的諦めの境地に達している。また,酒に酔って楽しくなった状態をキープして毎日を過ごしている。グルメ漫画ではない本作の多くの話が酒を飲んで終わることは特筆に値するだろう。

本作ではあくまで「日常」が描かれているのであって,そこに「生活」はない。たまに誰かしらが驚くべきことに「バイト」という単語を発することこそあれ,誰ひとりとして僅かでも労働の空気をまとっていることはない。その謎を解明しようとすると世界から消されるかもしれないので,この辺にしておく。

作中の時間の流れについては,サ○エさん時空であるかどうかは不明だが,少なくとも2浪までは時間が経過していると考えられる。主人公の『相田ゆるめ』は最初18歳であるのに,後々の回ではがっつり飲酒をしているからだ。本作において,酒は重要アイテムであり,主人公も含めて酒が飲めることは必要性だろう。それ以降はサ○エさん時空であるかもしれないし,実際にその後14年の留年を経ているのかもしれない。これも追求したら世界から消される恐れがある。

「話」の自由度と設定について

私は『ゆるめいつ』について,4コマ漫画として十分に洗練された作品だと見なしている。よりにもよって本作に野暮な議論を挟むことは憚られるが,本作からは「話」を自由に展開するために大事なことが詰まっている。それを3つの要素に分けて述べることにしよう。

理性と感情の欠落した「話らしい話」

ゆるめいつ』はどの回も,4コマ漫画として完結している。話の展開は奇術のようであり,各4コマのオチは作品タイトル通り基本的にゆるめだが,流してはいけないものを流しているようなことが多い。総オチは現実逃避,酒,宴の後の荒廃などが通常営業で,時に落語のようなオチがつくこともある。

それらに対して,行間を読んだり,登場人物の感情を考えたりすることは無意味だ。話は話であって,それ以外の何物でもない。終始,読者を笑わせたり,不思議な気分にさせたりするためだけに,話が展開されているのだ。先程日常系と言ったが,登場人物の言動はあくまでコメディの脚本として組み上げられたものである。もし,彼女らを本物の人間だと考えるなら,救いようがないレベルで思考が荒廃している。実際,最初から最後まで救いようがない。

極端な言い方をすれば,笑い話には登場人物の理性も感情も,読者の共感も必要ない。話として上手く組まれているならば,登場人物たちは,およそ理性が崩壊しているような行動をとってこそ,読者の笑いを誘うのだ。

外の読者にやさしい世界

大抵の作り話では,読者はあくまで話の外にいる,現実の脳を持った人間であることを考慮する必要がある。世界観が読者の感覚から乖離することは,その要請がなければ避ける方が望ましい。同じ人間でも,国や時代や民族や宗教が違えば,モノの見方や考え方も大きく変わってしまう。例えば,ある国の人が午後にカプチーノを飲むことを「どうかしている」と捉えているとしよう。だが,それを滑稽話として捉える感覚は,日本生まれ日本育ちの私には存在しないので,まるでピンと来ない。せいぜい,向こうに行ったときに自分が笑いの種にされたら面白くないなぁ,と思うくらいである。このように,読者の思考ベースが話の外の現実の脳にある以上,話とは逆に世界はそこまで現実離れしない方がいいだろう。

ただし,話の中の世界というものは,話を展開するための舞台に過ぎない。その中だけで完結できるならば,見えるところだけハリボテで埋めれば十分だ。設定厨がよくやるような,世界全体を創造《ジェネシス》する必要は全くない。私はその経験者であり,ノート数冊分の資料集を作って,話自体は途中で筆を忘れてしまうことがよくあった。それはそれで楽しかったのだが,話を作るにはほとんど無駄でしかなかったと考える。

ゆるめいつ』の舞台は東京の田舎にあるオンボロアパートである。それは例えば八王子になら普通にありそうなもので*1,日本の現実からかけ離れているわけではない。壁が貫通して隣室と繋がっていたり,存在しない3階から音が聞こえてくるとかいったことはあるが,それくらいは舞台装置の範囲内である。少なくとも私にとっては。その設定も連載が進むと忘れられたようで,その後の話ではほとんど出てこない。

本作は前節の通り,登場人物たちが一般的な思考から引き出せないような行動を取ることで,4コマ漫画としての流れやオチを作っている。笑いを生むのは人物の言動であって世界ではない。

デフォルメの役割とキャラクターの必要十分性

ゆるめいつ』のキャラクターについて,その絵柄と性質のいずれについても,第1巻のうちにほとんど完成されている。主人公の「相田ゆるめ」は十分に可愛らしく,必要以上に萌えに傾いてはいないと私は思う。他のキャラクターたちについても,それぞれが必要十分だと思う。そして,極めて安定した完成度の高いものだとも考えている。14年の連載の中で,初期を除けばここまでキャラクターが変わらないというのは珍しい。それほど彼女らは安定不動点にいるのだ。

キャラクターは基本的に外見(絵)と思考パターンからなる,多面性を制限された造形物である。何かしらの対象をキャラクターに落とし込むことは広義の「デフォルメ」である。キャラクターはすべてデザインされるものであって,現実の対象とは明確に別物である。たとえ実在の人物がモチーフになっても,それ自体からは多かれ少なかれ要素を削ぎ落とされている。

デフォルメは様々な点でキャラクターを捉えやすくし,話の展開の上で特定の役割を演じさせるために役立つ。というよりも,デフォルメなしではどんな話も書けない。たとえノンフィクションでさえ,執筆者のフィルタによって話の構成・展開において邪魔な要素は切り捨てられている。それには意識的/無意識的のどちらも十分にあるだろう。

ゆるめいつ』のキャラクターは,私から見れば必要十分であり,絵柄も早くに完成されている。デフォルメの程度は大抵のストーリー漫画よりはずっと高いが,現在の一般向け4コマ漫画の中では真ん中高めくらいだと思う。あるいは,14年前頃のきらら系の紙面なら浮かない程度には,萌え4コマ発展期の面影を保っている。彼女らは14年間も外見上は歳をとっていない。巻を追う毎に絵柄がより可愛らしくなっているとは感じるが,原型は最初から全くというほど崩れていない。あくまで定まっていた絵柄がより洗練されていったということだ。

私にとって『ゆるめいつ』とは

ゆるめいつ』は,まずは面白い4コマ漫画だった。『ゆるめいつ』という作品は,4コマ漫画のひとつの頂に達していたのだと私は考える。私にとっては聖典のひとつに数えていい。

前節で述べた話の構成論は『ゆるめいつ』において早い段階から完成されており,長い連載を経ても一貫していた。彼女らに一切合格の気配がなく,大体酒を飲んでは寝て終わることまでを含め。

もちろん,すべての4コマ漫画がこのやり方に従う必要は全くない。ただ,『ゆるめいつ』という漫画が笑い話のひとつの構成論を究めていたことで,私が saxyun 先生の漫画の巧さのほんの一部を見たという話である。

始めに書いたように,『ゆるめいつ』は「日常」を描いた作品であり,たとえ作品が完結しようとも,彼女らの堕落した日常は続いているのだと思われる。私の確信は本作の一貫性によって支持されている。それを踏まえて最後の賛辞を述べよう:

ゆるめいつ』はどこかの世界で変わることなく続いている。
登場人物の誰も決して合格することはないのだ!

近況

PC のトラブル,そしてお遍路へ

本ブログの直前の更新から2ヶ月以上も過ぎている。さすが,『ゆるめいつ』を聖典と位置づける筆者(前節までは「私」で通していたが,ここで戻す。)のなせる業だ。

というのも,筆者愛用の Arch Linux 入りノートPCで,3月半ばから発生していた Xorg*2 の更新が原因と考えられるサイレント・フリーズ*3が頻発するトラブルに見舞われていたため,ブログを執筆する気分が大きく削がれてしまった。

それと前後して,筆者が四国へお遍路に出たとき,ただでさえ荷物になる上に,前述のこともあって,ノートPCは持っていかなかった。そういうわけで,筆者はブログを更新しなかったのである。

Vim or VSCode?

実を言えば vim on xterm でテキスト編集できないことはなかったのだが,日本語入力が面倒過ぎて早々に諦めていた。しかし,この記事はここまで vim で書いている。それは,次のサイトのプラグインを利用したり,キーマップをカスタマイズしたりして,日本語入力が多少なりとも楽になったからだ。

fudist - vim/gvimで日本語を使いやすくする

長らく使っていた VSCode(実際はオープンソース版の code)が再び使えるようになったのだが,前述のトラブルを経験をしてからというもの,いっそ vim をカスタマイズして日本語入力をやりやすくした方がいいのではないかと考えたのだ。とはいえ,中程まで書いて慣れてきた頃に改めて面倒だと思った。やはり vim はプログラムや英語の文章の編集に使い,ブログの執筆は元通り vscode に戻した方がよいと。

以上が筆者の近況である。次は何としても5月内に書きたい記事があるので頑張りたい。(5月は失踪しました。)

*1:八王子の皆さん,こめんなさい。

*2:Linux でよく使われているフリーの GUI 環境

*3:突然,画面が固まって,一切の操作が不能になる事態。電源ボタンの長押しによる強制終了以外できなかった。その上,システムログには凍結の形跡が一切残らなかった。その頻度は日に日に高くなり,4月頃には全く使い物にならなくなった。ようやくやっと,ハードウェア・アクセラレーションが原因であることを突き止めることに成功し,Xorg の設定で無効にすることで解決を見た。